2021年3月15日月曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑬ 「どんな悪人でも救われる」とは? その一

浄土宗の教えは「誰もが救われる教え」です。


だからと言って、それなら「どんな悪いことをしてもいいのか?」


というと、そんなはずはありません。


しかしながら、法然上人の教えを聞いた人の中には


昔から「南無阿弥陀仏と称えればどんな者でも救われる」


という教えを誤解して捉える人がいました。


「どんな者でも救われるなら、


どんな悪いことをしてもいいじゃないか」ということです。


また「どんな悪人でも救われる」という教えが


多くの誤解を生みました。


今でも誤解する人は多いです。


「それはおかしいじゃないか」と。


普通に「どんな悪人でも救われる」と聞いたら、


「じゃあ麻原彰晃でも救われるのか?


宅間守でも救われるのか?」


と思ってしまうかもしれません。


でもそういう意味ではありません。


「どんな悪人でも」というのは


自分自身を指して「こんな悪人でも」


ということを意味します。


煩悩を断つこともできずに、


自分中心の我欲に囚われる悪人です。


それがこの私です。


この私が南無阿弥陀仏と称えることによって


阿弥陀さまに救われていく、という話なのです。


5月前半のことば

 5月前半のことば 「まずはやる」 井上智之   平成27年に極楽浄土へ往生された京都北山清水寺の一代、井上智之上人がよくおっしゃっていた言葉があります。  「まずはやる」——この短く力強い言葉には、日々の暮らしを新たに開く鍵が隠されています。  私たちは誰しも心の中で何度となく...