浄土宗の教えは「誰もが救われる教え」です。
だからと言って、それなら「どんな悪いことをしてもいいのか?」
というと、そんなはずはありません。
しかしながら、法然上人の教えを聞いた人の中には
昔から「南無阿弥陀仏と称えればどんな者でも救われる」
という教えを誤解して捉える人がいました。
「どんな者でも救われるなら、
どんな悪いことをしてもいいじゃないか」ということです。
また「どんな悪人でも救われる」という教えが
多くの誤解を生みました。
今でも誤解する人は多いです。
「それはおかしいじゃないか」と。
普通に「どんな悪人でも救われる」と聞いたら、
「じゃあ麻原彰晃でも救われるのか?
宅間守でも救われるのか?」
と思ってしまうかもしれません。
でもそういう意味ではありません。
「どんな悪人でも」というのは
自分自身を指して「こんな悪人でも」
ということを意味します。
煩悩を断つこともできずに、
自分中心の我欲に囚われる悪人です。
それがこの私です。
この私が南無阿弥陀仏と称えることによって
阿弥陀さまに救われていく、という話なのです。