(本文)
仏(ほとけ)、阿難(あなん)に告げたまわく。
汝(なんじ)好(よ)くこの語を持(じ)せよ。
この語を持(じ)せよとは、
すなわちこれ無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の
名(みな)を持(じ)せよとなり。
(現代語訳)
そして最後に釈尊は阿難(あなん)に仰せになった。
「汝、今、私が説き示したこの教えを
しっかりと胸に刻み込め。
この教えを胸に刻み込めとは、
無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の御名(みな)を
胸に刻み込め、ということに他ならない」
観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)には
瞑想修行や様々な善行が説かれています。
その数々の修行を差し置いて、
釈尊は「無量寿仏の名前」を
未来の人々に伝え残せと阿難(あなん)さまに
託されました。
「無量寿仏」はすなわち「阿弥陀仏」です。
つまりは「南無阿弥陀仏」と称える「念仏」を
未来に伝え残せとおっしゃっているのです。
このように師匠が弟子に教えの奥義を相伝し、
後世に伝え託すことを「付属(ふぞく)」といいます。
法然上人はこのことを重視され、
「釈尊は種々の行を付属せずに、
ただ念仏をもって阿難(あなん)さまに付属なさった」
とおっしゃています。
「南無阿弥陀仏」と称える念仏は
阿弥陀仏が自ら「我が名を呼べよ」と
指定された「本願」であるだけでなく、
釈尊が種々の行を差し置いて
「付属」なさった行なのです。