(本文)
舎利弗(しゃりほつ)、
阿弥陀仏(あみだぶつ)
成仏より已来(このかた)、
今において十劫(じっこう)なり。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「舎利弗(しゃりほつ)よ、
阿弥陀仏は仏になられてから、
十劫という年月が経っている」
(解説)
「劫(こう)」という時間の単位を
『浄土宗大辞典』には以下のように
説明されています。
①四方一由旬の鉄城に芥子けし粒を満たし、
100年ごとに一粒取り去ることを繰り返し、
空になっても劫は終わらない(芥子劫)。
②40里四方の石を100年ごとに細軟の布で払拭し、
その石が磨滅しても劫は終わらない(磐石劫)。
①にしても②にしても「とてつもなく長い時間」を
表していることがわかります。
阿弥陀仏がまだ仏になられる前、
法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)として
修行されていた時、
「凡夫を救うためにはどうすればよいか」と
悩まれた時間が五劫であったといいます。
その後、師匠の世自在王仏(せじざいおうぶつ)の
御前で、四十八願を建てられてから、
兆載永劫(ちょうさいようごう)の間、
修行をされた末に成仏され、
「阿弥陀仏」となられました。
そして阿弥陀仏として成仏されてから、
今までの時間を「十劫」と説かれるのです。
「五劫」も「兆載永劫」も「十劫」も、
我々の認知できる範囲を遙かに超えた
長い時間概念で阿弥陀仏や極楽浄土は説かれています。