(本文)
また舎利弗(しゃりほつ)、
かの仏に無量無辺(むりょうむへん)の
声聞弟子(しょうもんでし)あり。
皆、阿羅漢(あらかん)なり。
これ算数(さんじゅ)の
能(よ)く知る所にあらず。
諸もろの菩薩衆(ぼさっしゅ)も、
またかくの如し。
舎利弗(しゃりほつ)、彼の仏の国土には、
かくの如きの功徳荘厳(くどくしょうごん)を
成就(じょうじゅ)せり。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「 また舎利弗(しゃりほつ)よ、
阿弥陀仏には数え切れないほど多くの
声聞(しょうもん)の弟子がおられる。
彼らはみんな阿羅漢(あらかん)の境地に達している。
その人数は数えきることができない。
そして菩薩たちも、同じく数えきることができない。
舎利弗(しゃりほつ)よ、
極楽はこのようにすぐれた功徳で
飾られているのである」
※声聞(しょうもん)
仏の教えを聞いて、自らの覚りのみを目指して修行する者。
※阿羅漢(あらかん)
聖者が到達しうる最高位。
(解説)
「朱に交われば赤くなる」というように、
人は関わる相手や環境によって、
良くも悪くもなります。
極楽へ往くと、覚りに至った阿弥陀仏以外に、
極めて覚りに近づいている修行者がたくさんおられます。
私たちの周りにそのような方が、
現在一人でもおられましょうか。
私たちがこの世にいれば、
出会う人すべてが凡夫です。
それが極楽へ参りますと、
出会うすべての方々が覚りに向かう
素晴らしい方々ばかりです。
そんな環境に身を投じれば、私自身もその影響を受けて、
覚りに近づくスピードが増すことでしょう。