9月後半のことば
「多様性 仏の目には 皆凡夫」
近ごろ「多様性」という言葉を耳にしない日はありません。会議でも学校でも、街頭のポスターにすら踊っています。確かに、人は千人いれば千人、百人いれば百人、異なる価値観や性格を持っている。それは事実です。しかし、だからといってその言葉を唱えさえすれば、すべて解決するかのように思っている風潮には、どこか空虚さを覚えます。人はどれほど違えど、結局は「凡夫」でしかないのです。
凡夫とは、欲に振り回され、怒りに囚われ、迷いを重ねる私たちの姿をいいます。中国の善導大師は「九品皆凡」つまり「みんな凡夫である」とおっしゃいました。高い地位にある者も、学問に秀でた者も、あるいは日陰を歩む者も、みな同じく煩悩を抱えている。その煩悩を断ち切ることができない以上、互いの違いを誇ってみても大した意味はないのです。
それでも阿弥陀仏は、そんな凡夫をこそ救うと誓われました。私たちは「違いを認め合おう」と声を上げます。しかし仏の慈悲はさらに徹底していて、「違いごと包み込んで救おう」と差し伸べてくださる。人の議論はしばしば分断を生みますが、仏のまなざしはその手前で私たちを丸ごと掬い取ってくださるのです。そのことに気づいたとき、多様性という言葉の軽さを越えて、人と人の違いは光に照らされる色彩のように見えてきます。その有り難さに、せめて頭を垂れたいものです。