5月後半のことば
「悲しさは愛しさである」
「悲しさは愛しさである」——この言葉は、大切な人を亡くした遺族の方から教えていただいたものです。胸が締めつけられるような喪失の痛みは、実のところ、その人をどれほど大切に想っていたかという深い愛しさの証なのだと気づかされました。
「悲しい」という言葉の語源にあたる「かなし」について、白川静氏の『字訓』を開いてみました。そこにはこう記されています。「どうしようもないような切ない感情をいう。いとおしむ気持ちが極度に達した状態から、悲しむ気持となる。(中略)かなしという感情は繊細なものであるから、これに当たる適当な字がなく、愛・哀・悲などが用いられる」と。つまり、「悲しさ」とは本来、深く人をいとおしむ感情の延長にあるのです。
上智大学の岡知史先生は、遺族が語る悲しみを「愛のかたち」として受けとめることの大切さを説いておられます。岡先生は、遺された人々の言葉に、単なる「記録」や「データ」としてではなく、そこに込められた愛情の深みに目を向けられます。亡き人を想う声には、その人を今も心の中で生き続けさせようとする切実な願いが宿っています。岡先生は、そうした「愛の言葉」としての悲しみを、丁寧にすくい上げておられるのです。
全国自死遺族連絡協議会の田中幸子さんも、ご自身の経験から「悲しみは愛しさとともにある」と繰り返し語っておられます。悲しみは、無理に消そうとすればするほど募るもの。なぜなら、それは今も生きている愛のかたちだからです。「悲しみは病気ではありません。だから薬で治すものではありません」と、田中さんはおっしゃるのです。
自死遺族の手記集『会いたい』(明石書房・2012年)には、夫を亡くした方のこんな言葉が記されています。「私から悲しみや愛しさを消そうとしないでください。愛する人を失った悲しみは、故人への愛しさだと感じています」。
悲しさとは、いまも変わらず誰かを愛しているということ。そのことを、これからも忘れずにいたいと思います。