6月前半のことば
「死は前よりしも来たたらず
かねて後ろに迫れり」 吉田兼好
この『徒然草』の一節は、死の本質を静かに、しかし鋭く突いていると思いませんか。人は皆、死というものが自分に訪れることを知っています。にもかかわらず、それが「いつ」「どのように」やって来るかはわからぬまま、まるで明日も同じように日が昇り、何ごともなく時が過ぎると信じて生きてしまうものです。
しかし兼好法師は、死は前方から姿を見せて近づいてくるのではない、むしろ、すでに背後にいて、そっと、確実に近づいているのだと語ります。私たちが気づかぬふりをしても、それは変わらず私たちの背中にぴたりと張りついているのです。だからこそ、今日という一日を疎かにしてはならないのです。
仏教では、「無常」を意識することを教えられます。いのちは儚く、永遠ではありません。「明日ありと思う心」が、私たちの現在を曇らせ、今このときの輝きを見失わせるのです。 死を遠ざけるのではなく、その存在を背中に感じながら、むしろそれを力として、今日を丁寧に、誠実に生きる。兼好法師のことばは、死を嘆くものではなく、生の尊さを教えてくれる、貴い響きを持っています。