2020年5月8日金曜日

お釈迦さまのご生涯⑧(涅槃・最終章)

お釈迦さまはガンジス川中流域の各地を旅から旅へ

一時も休まれることなく、伝道の旅を続けられました。

至る所でその人にふさわしい教えを説いていかれました。

いわゆる「対機説法」です。

その人その人の素質や能力に合わせて、教えを説かれました。

それはまるでお医者様が患者の病状に会わせて

薬を処方するようですので、応病与薬とも言われます。

会う相手ごとに教えを説かれましたので、

その数は膨大になりました。

それがお経です。

八万四千の法門と言われるほどに多くのお経、教えがあります。

伝道の旅を続けられたお釈迦様は八十歳の高齢を迎えられました。

「私の体は修繕に修繕を重ねた古車のように疲れ果てた」

とおっしゃり、お弟子の阿難さまに

「阿難よ、背中が痛む」と入滅が近いことを知らされたといいます。

お釈迦様は「阿難よ、私が入滅したら、

その後は自らを灯火とし、法を灯火として精進せよ」と告げられたといいます。

これが「自灯明法灯明」と呼ばれる教えです。

年老いて体調もお悪いお釈迦さまですが、まだ旅を続けられます。

パーヴァ村という村に行かれた時に

チュンダという鍛冶屋の息子がいまして、

お釈迦さまにきのこ料理を供養しました。

ところがそれを食べられたお釈迦さまは激しい腹痛に襲われ、

血がほとばしるほどでありました。

おそらく今の赤痢であろうと言われています。

チュンダは「大変なことをしてしまった」

と顔面蒼白になるのですが、お釈迦さまは彼を気遣い、

「仏に対する最初の供養と入滅前の最後の供養は最大の功徳があるのだよ」

とおっしゃったといいます。

少し病状が軽くなるとまだ旅に出られましたが、

クシナガラという街にさしかかったとき、

川の畔の沙羅双樹のところでもう一歩も歩くことができなくなりました。

阿難さまに命じて敷物を敷かせて、頭を北に、

右脇を地につけて静かに横になられました。

いわゆる頭北面西、北枕です。

その姿をみた阿難さまは悲しみのあまりに涙します。

その阿難さまに対してお釈迦さまは

「阿難よ、泣くではない。

すべて愛する者ともいつかは別れなくてはならない。

お前は長い間、私によく仕えてくれた。

この上は更に精進して覚りを目指せよ。

阿難よ、私の入滅の後、我が師はすでにいない、と思ってはならない。

私が説いた教え、法と生活規範の律を自らの師として、

照らし合わせながら修行せよ」

とおっしゃいました。

クシナガラにやってきた遊行僧のスバッタ

お釈迦さまに教えを請いたい、と言います。

お釈迦さまはスバッタの悩みを聞かれ、

質問にお答えになり疑いを解かれました。

そのスバッタがお釈迦さまの最後の弟子となります。

2月15日の満月の日、お釈迦様は入滅されました。

御年80歳でありました。

この2月15日をお釈迦様入滅涅槃の日、ということで

多くのお寺で「涅槃会」が営まれます。

『ブッダ最後の旅』
中村元訳

11月後半のことば

 11月後半のことば 「危ないのは逆境の時より順境の時」 逆境の時には、我々は注意深く努力し、成長と学びを得ます。 しかし、順境の時、油断の罠が待ち構えています。 仕事が順調な時、自分は失敗しないと安心し、準備を怠ることがあります。 例えば、プロジェクトが順調に進んでいる時に限っ...