仙人は
「立派な王子様がお生まれになったと聞いてやって来ました。一目王子様と会わせてください。」
と言います。
仙人はまだ赤ん坊のシッダールタ王子を見るなりポロポロと泣き出します。
王様は「何か不吉なことでもあるんですか?」と仙人に尋ねます。
仙人は
「そうではありません。この王子様が成人したならば、娑婆世界を統治する、転輪浄王になるか、覚りを開いてブッダになるかどちらかになるでしょう。しかし私は王子様が成人するまで生きていられないでしょう。それが残念でなりません。」
と泣いたといいます。
シュッドーダナ王は、転輪浄王になってくれればいいけれども、ブッダになったら国を捨てて出て行ってしまいますから困ります。
ですから、国を捨てて出て行こうなんて気が起こらないように、生まれてきた子に贅沢三昧させるのです。
春には春を楽しむべく造られた宮殿に住まわせ、夏には夏、冬には冬の宮殿を与え、おいしい物を与え、よい着物を与え、美しい女性に身の回りの世話をさせ、快楽という快楽を与え続けます。
普通ならとんでもない馬鹿息子が出来上がるところでしょうが、そこは違いました。
シッダールタ王子はそういった贅沢を楽しむことなく、物思いに耽る少年であったといいます。
あるとき、村の農耕祭に招かれて畑に鍬を入れる様子を観ていましたら、鍬によって土が耕され、土の中から虫が出て来ました。
何気なくその虫を見ていると、小鳥が飛んできて、虫を咥えて飛んでいきました。
一瞬の出来事でしたが、シッダールタ王子は悲しみに包まれます。
強いものが弱いものを殺し、更に強いものが殺す。
かく言う私たちもあらゆる生きものの命を奪って生きている。
生きとし生けるものは何のために生きているのであろうか。
人間は争いを好みます。
大昔から殴り合いを見たり、殺し合いを見るのは権力者の娯楽でした。
今でもあらゆる形で競争をし、その勝ち負けの競い合いを人は楽しみとして見ます。
人が喧嘩をしていると人だかりができます。
「やれ!やれー!」なんてね。
仲の悪い人が隣り合わせになっていたりすると、みんな見てみないふりをしながら、興味津々です。
人は争いが大好きです。
マグロが解体されるのがショーになる。
殺され、身体が切り刻まれているのに、見ている人はニコニコして、舌なめずりをして見ている。
しかしシッダールタ王子はそうではありませんでした。
虫が小鳥に食べられ、小鳥が大きな鳥に食べられる様子を見て、笑うことはできません。
深い悲しみに包まれます。
お父様のシュッドーダナ王は、沈みがちは王子を心配しまして、隣国から美しいヤソーダラー姫を選んで王子の妃にしました。
20歳頃のことと言われていますが、それから出家されるまでの9年間は、外から見れば幸福そのものに見えたことでしょう。
後にヤソーダラー姫もお釈迦様のお弟子となられます。
『ブッダのことば』
中村元訳