2020年7月23日木曜日

念仏と出会うということ③(修羅・人・天)

「修羅」というのは殺し合いに明け暮れる世界です。

憎しみ合い、殺し合うことを繰り返す世界です。

「人」の世界はどうでしょうか。

四苦八苦の世界です。

それでも「幸せもあるじゃないか」とも思います。

しかしそもそも幸せって何でしょうか?

 大きな病気をされた方が、治ったら

「生きているだけで幸せです」とおっしゃいます。

でもしばらくすると不満を言い出します。

「家族が健康でさえあれば幸せです」と言う人は

多くおられます。

私もその一人です。

一見ささやかな望みのようですが、

よくよく考えると、

実は絶対に実現しない望みです。

人は生きていたら必ず病気になり、老い、死にます。

自分の家族だけその四苦八苦から逃れられることは

できないと気づかされます。

健康・お金・家族・生きること、

そういったすべていつか必ず失うものを

幸せだと思っていると、必ず不幸になる

というのは言い過ぎでしょうか。

我々が幸せだと思っているものは

すべて相対的な幸せです。

喉が渇いて死にそうな時には

一杯の水を飲むだけでも幸せです。

でも喉の渇きが収まったらもう水は要りません。

ですから水を飲むこと=幸せではありません。

「苦あれば楽あり」というようなものは

本当の楽ではありません。

つかんだと思ったら消える。

「幸せとは何?」の答えは「今が幸せ!」

とその一瞬を幸せと思う以外にないのかもしれません。。

そうは言っても自分自身に

思いがけなく辛いことが起こった時に

本当にそう思えるのか?と自問すると、

決して「はい」と答えることのできない自分があります。

仏教の目的は幸せを追い求めるのではなく、

苦から解脱することです。

我々の苦の原因は我々自身の煩悩にあるのだ、

と仏教では説きます。

煩悩につきましてはまたそのうちお伝えします。

今はまず、煩悩をコントロールできず、

相対的な幸せを求める人は、実は幸せになれない

という厳しい現実に目を向けてみましょう。

そこに目を向けると、「このままでは私たちは

絶対に幸せになれない」というとても怖い現実を

見ていかなくてはなりません。

だから仏教を学び、信じていくのです。

それを少しずつ申し上げていきます。

「天」は快楽の世界です。

快楽とは何でしょうか。

もし「毎日酒を飲み、美味しいものを食べ、

きれいな女性に囲まれて、あるいは美男子に……」

そのような「快楽を求める」という生き方が

本当に幸せなのかどうかも考えてみる

必要があるでしょう。

そして天であっても寿命はあります。

人間とは比べものにならないほどの

長命だそうですが、それでもいつか死を迎えます。

生きている間快楽な分、

「死にたくない」と思う心は

人間がそう思うよりもずっと強く、

大きな苦しみを伴うといいます。

絵本『地獄』
監修・宮次男


仏説阿弥陀経⑦

 (原文) その時、仏、長老舎利弗(ちょうろうしゃりほつ)に 告げたまわく。 これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り。 名づけて極楽という。 その土に仏まします、阿弥陀と号したてまつる。 いま現に在(ましま)して説法したまう。 (現代語訳) その時、釈尊は長老の舎利弗(しゃり...