2020年7月22日水曜日

念仏と出会うということ④(輪廻するとはどういうことか)

この六つの世界、「六道で」一生を全うしたら、

また次の世界に生まれ変わるというのが

六道輪廻という教えです。

仏教の前提にこの輪廻の思想があります。

人間は死んだらどうなるのか。

死んだらそれで終わりではありません。

もし死んですべて終わりならば、

この世を好き放題に生きて、

無茶苦茶なことをして死んでも

どうってことはないはずです。

でもそうではないでしょう?

体がゴミになって、残された人たちの

心の中で生き続けるなどとも言いますが、

それだけではない、というのが輪廻の考え方です。

人は死んだら生まれ変わるのです。

日本人は「生まれ変わる」というと、楽観的に捉えます。

「生まれ変わったらまた一緒になろうね。」

「生まれ変わったらこんな仕事がしたい。」

しかしインド人がいう「輪廻」はそうではありません。

何度も老い、病になり、死ぬということを恐れるのです。

年老いたくないのに年老いていく、

誰も病気になんてなりたくないのに病気になる。

死にたくないのに死ぬ。

愛する人と別れたくないのに必ず別れる。

嫌いな人と嫌でも会わなくてはならない。

誰もそうなりたくないのになってしまう。

それを生まれ変わり死に変わりして

繰り返すことを恐れるんです。

「もうこんな苦しみを繰り返したくない!」

ということです。

輪廻というのは楽しいものではありません。

苦しみの世界、迷いの世界を経巡ることをいうのです。

繰り返し「仏教の目的は苦からの解脱である」

と申していますが、ただ単に

今の一生の苦しみから逃れることを

言っているのではありません。

一生の苦しみから逃れるだけならば、

死んだらおしまいです。

でもそれですまないというのですから恐ろしいのです。

六道を経巡って苦しみを繰り返し苦しみを味わう輪廻。

そこから逃れ出るのが仏教の目的なのです。

『悲しい本』
マイケル・ローゼン


仏説阿弥陀経⑦

 (原文) その時、仏、長老舎利弗(ちょうろうしゃりほつ)に 告げたまわく。 これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り。 名づけて極楽という。 その土に仏まします、阿弥陀と号したてまつる。 いま現に在(ましま)して説法したまう。 (現代語訳) その時、釈尊は長老の舎利弗(しゃり...