2020年7月31日金曜日

無明④(四法印)

無常であるが故に、10年前はもちろんのこと、

一瞬前の私も「今の私」とは異なります。

10年経って突然変わることもありますが、

殆どのものは徐々に徐々に変化しています。

「わたし」「あなた」と言い合い、

お互いを「同じ人」と思っていますが、

実はお互いが変化し続けています。

だから仲良くしたり喧嘩したり

出会ったり別れたりします。

それなのに「自分はこういう者」「あの人はこういう人」

と固定した見方しかできないのが我々でしょう。

その「わたし」も「あなた」も

決して固定したものではなく、移り変わります。

どの人も物もすべて変わらないものはない。

「変わらない我」はないので、

これを「無我」と言います。

ここでいう「」というのは

不変の実体」という意味です。

すべてのものに「不変の実体」はないので

「無我」なのです。

すべてのものは移り変わるのに

「移り変わって欲しくない」と思い通りに

しようとする自分がいます。

身体が老いていくのにそれを認めたくない。

病になった自分を認めたくない。

もちろん「自らの死」を認めたくない。

でもすべては移り変わってゆき、

「老い」も「病」も「死」も

必ずすべての人に訪れます。

その「思い通りにならないこと」が「苦」です

「苦」には「不安」とか、「悩み」とか、

「不快」とか、「喜ばしくないこと」とか、

「辛いこと」など色んな意味が含まれます。

私にとっての「好ましくないあり方」です。

この「無常」「無我」「苦」

「三法印(さんぼういん)」といいます。

仏教の核ともいえる「三つの教え」です。

それと逆が「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」です。

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」は、

仏教における究極の目的です。

あらゆる苦しみ悩みから抜け出した、

「静かな安楽の境地」です。

「三法印(さんぼういん)」に

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」を加えて

「四法印(しほういん)」といいます。

「無常」「無我」「苦」のあり方がしっかりとわかり、

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」に至ることが

できればよいのですが、果たして私たちに

それができるのでしょうか。

「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の境地に

至るためにはあらゆる「執着(しゅうじゃく)」を

断ち切らねばなりません。

『苦の探求』
蜂屋賢喜代


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