2020年7月30日木曜日

無明⑤(自分の〇〇)

私たちは「自分のため」だけに生きています。

「そんなことはありません。

私は自分の家族のために生きているのです」

という方もおられるでしょう。

しかしそれは「自分の家族」です。

あくまで「自分」という「枠」の中に

「家族」を取り込んでいるだけです。

私たちは「自分」という枠の中には

まず「自分」を入れます。

そしてこの枠の中の「自分」を思い通りにしようとします。

病気になったら「病気になったのだ」

と思えばいいのですが、そうはいきません。

「何でこんなことになったの?」と

「自分が思う自分」にしようとします。

でもそれは思い通りにならないので苦しみます。

「老いていく自分」は「自分が思う自分」

ではないので、「若くありたい」

とコントロールしようとします。

でもそんなことが思い通りになるはずがありません。

「自分」という枠はどんどん広がります。

「自分の子」を完全に囲い、

他人の子とは明らかに区別します。

そして「自分の子」を自分の思い通りに

コントロールしようとします。

しかもやっかいなことに、「ウチの子のため」だと

思い込んでいます。
 
場合によっては大人になってから

精神的に辛い日々が続き、その原因を探ったら

実は「自分の母親のエゴに苦しめられていた」

ということもかなりあるといいます。

しかし「あの優しかった母親が原因のはずがない」

と本人も思い込んでいますし、

母親も「ウチの子のために」と思っていますから、

自分が原因だとは気づきにくいというのです。
 
子にとって親は「自分の親」です。

他の大人には丁寧に接しても、

「自分の親」は自分の「枠」の中にいますから、

多少暴言を吐いても許されます。

そうやってお互いを傷つけ合うのです。
 
「私は家族も大事ですが、

会社がよくなるようにと思って日々頑張っています」

という方もおられるでしょう。

しかしそれも「自分の会社」です。

勤める会社や母校の評価が自分の

アイデンティティーになります。

母校を馬鹿にされたら、まるで

自分が馬鹿にされたように感じるのは、

学校をも自分の中に取り込んでしまうからです。
 
「外国が日本のことをないがしろにするのは許せない!」

という「愛国心」も同じです。

「自分の国」です。
 
「愛」という言葉は仏教用語では

「執着(しゅうじゃく)」を意味します。

「執着」は「煩悩」です。

我々の苦しみの原因です。
 
「自分の」という「枠」は即ち

「煩悩」なのです。

ですから、あらゆる苦しみ迷いから逃れるためには、

この「枠」たる「煩悩(ぼんのう)」を

取り去ればよいのです。

しかし私たちが「枠」を取り去ることは非常に困難です。

『観無量寿経を語る』
佐藤春夫


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