2020年7月29日水曜日

無明⑥(凡夫)


すべては移り変わる。

私も家族も永遠ではない。

「無常」です。

無常ゆえにすべての変化を受け入れる。

私自身も常に変化するから「変わらない我」はない。

「無我」です。

無常であり無我であるから、

すべてのものは思い通りになりません。

「苦」です。

このような「真理」を頭ではなんとか理解しても、

本当に理解することがなかなかできないのが私たちです。

「煩悩」が邪魔をするのです。

その煩悩を持ち合わせた私たちのことを

「凡夫(ぼんぶ)」と申します。

仏教には色んな教えがあります。

インドから始まる仏教の多くの教えでは、

煩悩を断ちきって、苦しみから出ようと説きます。

それができる人はその道を行けばよいでしょう。

しかし「誰でも必ず死ぬ」という

そんな単純なことさえも分からない、

煩悩から逃れられない私です。

無常とか、無我という真理は頭の中では理解できます。

「すべてのものは移り変わる」

そんなことは当たり前です。

すべてのものは移り変わるから、

私も私の妻も、私の子供も友人も

知り合いもみんな常に変化している。

だからみんな健康であり続けることは不可能である。

みんなが生き続けることも不可能である。

急に誰かが死ぬかも知れない。

それが自分かも知れないし、最愛の人かも知れない。

そういう可能性は常にある。

そんなことは頭では誰でもがわかりきっていることです。

けれども、「自分が突然死ぬのを認められるか?」

と問われると、どうでしょうか。

いつか死ぬのはわかっていても

今死ぬとは思っていません。

ましてや、自分の息子が今日死ぬなんて、

絶対に認めたくありません。

そんなことを考えたくもありません。

『悪人正機説』
梶村昇


4月前半のことば

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