昔の念仏者がこんな素敵なお歌を残しておられます。
「先立たば 遅るる人を待ちやせん
はなの台(うてな)の半(なか)ば残して」
「はな」は「蓮」のことです。
ですから「蓮のうてな」は
「蓮台(れんだい)」を指します。
「あなたと私とどちらが先に極楽浄土へ往くのかは
わからないけれど、もし私が先に極楽浄土へ
往き生まれたなら、遅れてくるあなたのために
極楽の蓮の上で、半分席を空けてお待ちします」
という内容です。
大切な人が先に亡くなり悲しい思いを
しておられる方は、どうぞその方のために
回向(えこう)して差し上げてください。
そして、あなたご自身の往生を願って
お念仏を称えましょう。
必ず、間違いなく極楽浄土で再会する時が参ります。
その時には手に手を取り合って
再会を喜び合うことができます。
その日まで、お念仏を称えて参りましょう。
この「極楽の一つの蓮の上で会う」ことを
「一蓮托生(いちれんたくしょう)」といいます。
一般的には「悪い意味で運命を共にする」ことを
一蓮托生(いちれんたくしょう)だと
使われる場合ありますが、
本来はそういう意味ではありません。
「念仏を称えていたら必ず
極楽浄土で再会することができる」
この教えを信じる者同士が
「また極楽の蓮の上で会おうね!」と再会を約束する
「合い言葉」が「一蓮托生(いちれんたくしょう)」です。
「一蓮托生(いちれんたくしょう)」も
先にお伝えした『阿弥陀経』の
「倶会一処(くえいっしょ)」も全く同じ意味です。
「必ず極楽で再会できる」と信じて
お念仏を称えてこの世を生ききるのです。