2020年10月30日金曜日

四障四機(ししょうしき)④〈疑心(ぎしん)〉その三

お釈迦さまのお弟子に周利槃特(しゅりはんどく) 

 という方がおられました。

 彼は生来物覚えが悪く、 

 一緒に仏門に入った兄からは

 「お前は修行に向いていないよ。 早い内に辞めた方がいい」 

と言われて落ち込んでいました。

 お釈迦さまは落ち込んでいる周利槃特(しゅりはんどく) に声をかけ、  

「お前にはお前のよさがある。

 お前は何事も真面目にするのがよい。 

お前はひたすら塵を”払い垢を落とす” と言いながら掃除をしなさい」 

 とホウキを与えます。

 周利槃特(しゅりはんどく)は 「お釈迦さまの言うとおり」  

その修行をひたすら続けてやがて覚ったのです。

 しかしかといって 「掃除をすれば覚ることができる」 

 ということではありません。 

 周利槃特だからその修行が合ったのです。 

 そのようにして多くの教えは生まれました。

 その中で我々のお念仏の教えは 

 「未来の凡夫(ぼんぶ)」を対象に説かれました。

 お釈迦さまの時代の方は 宗教的な素養が豊かであったので、  

高度な修行もできましたが、 

 時代が下るにつれて人々の宗教的素養が 貧しくなり、

覚ることが難しくなりました。 

 ですから、 

 「昔の人と同じ修行では後の時代の 煩悩だらけの凡夫は救われない」

 とお釈迦さまがお考えくださり、  

「遙か西の彼方に極楽という世界がある。 
そこに阿弥陀仏という仏がおられて
 我が名を呼べば救うとおっしゃっている。
 阿弥陀仏は昔法蔵と名乗っておられて・・・」 

 と説かれました。 

 「これをこのまま信じよ。 そして南無阿弥陀仏と称えよ」

 と示してくださっているのです。 

 それなのに疑い心を持ち、 信じることができないのは、 

 いかにももったいない話です。  

実際に見て来ないと信じられないと言う人は多いですが、 

心配しなくても念仏を称えてきた人の 臨終には

阿弥陀さまのお迎えがあります。

 その時には間違いなく会うことができます。 

 疑いが我々の極楽往生を妨げます。 

 どうか疑いなきように

「 信」を育てていただきたいと思います。

4月後半のことば

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