お念仏というのは極めて簡単な行です。
「極楽へ往きたい」と願う人にとれば、
これほど簡単な行はありません。
阿弥陀さまの名前を呼ぶだけですから。
しかし「極楽へなんか往きたくない」
という人にとってはどれだけ簡単であっても、
面倒くさいことでしょう。
極楽は往きたい人が必ず往けるところです。
往きたい人はお念仏を称えればよいだけです。
ただ、「極楽へ往きたい」と思っても
その気持ちを持続するのはそれほど
容易いことではありません。
人間というのは弱いもので、
「極楽へ往きたい」と思っても
時が経つにつれて段々とその気持ちが薄らいでくるものです。
煩悩(ぼんのう)が邪魔をするのです。
そもそも普段から私たちは
ずっと阿弥陀さまや極楽浄土に
心を向けているでしょうか?
お寺の本堂やお家のお仏壇に向かっているときは
阿弥陀さまや極楽浄土、
ご先祖さまに心が向くことでしょう。
でも部屋を出た瞬間に
「はい、ここからは日常生活」という風に
スイッチが切り替わってしまいます。
そういう人が多いのではないでしょうか。
それでもずっと「極楽へ往きたい」と
願う気持ちを維持できれば問題はありません。
ただ、その程度の信心というのは
実は危ういもので、
何か大きなことが起こるとすぐにぐらつきます。
そういう弱い私たちですから、
できるだけ日常生活から阿弥陀さまや
極楽浄土に向くような生き方をした方がよいのです。