法然上人のお念仏の教えは、
広い範囲に及びました。
身分の高さで言いますと、
上は天皇から、なんと下は泥棒までいるのです。
泥棒、強盗です。
河内の国に天野四郎(あまのしろう)という男がおりました。
人を殺して金を奪うことを生業にしている、
という極悪人です。
ある時、法然上人のところに忍び込んだ時、
潜んだ先から聞き耳を立てて、
どんな者でも救われるお念仏のみ教えが耳に入り、
感激して出家したのです。
天野四郎(あまのしろう)は、
教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)と
自らの名前を変えて、今までの罪を悔い、
お念仏一筋の人となりました。
教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)さまは、
法然上人のそばで教えに触れて至福の時を過ごしていました。
或る夜、ふと夜中に目が覚めると、何やら声が聞こえます。
耳を澄まして聞いてみると、
法然上人がお念仏を称えておられる声だと気づきます。
教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)さまは、
声を出してはいけないと我慢をしておりましたが、
我慢仕切れずに咳払いをしてしまいます。
すると法然上人のお念仏の声がはたと止み、
法然上人は床につかれたご様子でした。
それから数日が過ぎ、教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)さまは、
お念仏のみ教えについて、色々とお聞きしている時に、
法然上人から「そなたは、私が先日、夜中にお念仏を
人知れず称えていたのを知っておるか?」
と尋ねられました。
教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)さまは、
「はい、夜中に目が覚めたら
お声が聞こえてきました。
ありがたく思っておりましたが、
我慢しきれず咳払いをしましたら
法然さまのお声が止まったので、
残念に思っておりました」とお答えになりました。
法然上人は、
「そうか、そうか。
あの時の私のお念仏こそ真実の心でのお念仏であるぞ」
とおっしゃいました。
人は、とかく人の目を気にして、
同じ念仏を称えるにも、善人に見られようとか、
精進しているように見せようとか、
時には我が子に仏を拝む姿を見せてやろうとしてしまうものです。
しかし、それは真実の心ではありませんね。
この時の法然上人は夜中に一人、
往生を願ってお念仏を称えておられました。
教阿弥陀仏(きょうあみだぶつ)さまに
聞かせようとして称えたわけではありません。
「阿弥陀さま!」と本気で思いを寄せてお念仏を称えるのです。
一目を飾ることなく、内も外も阿弥陀さまへ、
極楽浄土へ思いを寄せるのです。
至誠心(しじょうしん)。
素直な心、本気の心が大切です。
本気で何をするのかは、
三心(さんじん)の中、後の二つに掛かってきます。