2021年1月15日金曜日

三種行儀(さんしゅぎょうぎ) ⑰ 臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)その三

法然上人は


「平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、


臨終の念仏の、のぶれば平生の念仏となるなり。」


とおっしゃっています。


「平生の念仏」とは普段の念仏ですから、


「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」でいうところの


「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」に当たります。


尋常(じんじょう)の念仏を続けていると、


いつかは命が尽きる時がやってきます。


そこで命が尽きたらそれが臨終の念仏になるのです。


また、いつ死を迎えるのかは


誰にもわからないのですから、


「今が臨終」と心得て念仏を称え、


その臨終念仏が続いていけば、


それがすなわち尋常(じんじょう)の念仏となるのです。


11月後半のことば 念仏の念は「思うこと」ではないの?

 11月後半のことば 念仏の「念」は声   「念」とは、ふつう「思うこと」を意味します。だから「念仏」とは「仏を思うこと」と考えるのが自然でしょう。実際、仏教の修行の中には、瞑想によって仏の姿や浄土の光景を心に思い描く行があります。静かに座り、心を澄ませ、阿弥陀仏の慈悲の相を目の...