(本文)
その時世尊(せそん)、足(みあし)、
虚空(こくう)を歩みて、
耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に還りたまう。
その時阿難(あなん)、
広く大衆(だいしゅ)の為に、
上(かみ)のごとき事(じ)を説く。
無量の諸天および龍・夜叉(やしゃ)、
仏(ほとけ)の所説(しょせつ)を
聞きたてまつりて、皆大いに歓喜(かんぎ)して、
仏(ほとけ)を礼(らい)したてまつりて退きぬ。
仏説(ぶっせつ)観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)
(現代語訳)
それから釈尊は空中を歩いて、
耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にお帰りになった。
そして私阿難(あなん)は、
耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に集っていた
大衆のために以上の王舎城(おうしゃじょう)での
出来事を述べたのである。
その場にいた出家修行者たちや諸菩薩はもちろん、
数限りない神々や龍神、夜叉もまた
釈尊がお説きになった教えを聞いて、
誰もがみな大いに喜んで釈尊を礼拝して
立ち去ったのである。
仏説(ぶっせつ)観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)
この最終の項を「耆闍分(ぎしゃぶん)」といいます。
釈尊の命により、阿難(あなん)さまが
王宮で聴いた釈尊の教えを
耆闍崛山(ぎしゃくっせん)に帰って、
大衆にもう一度説くところです。
大衆は教えを聴いて歓喜して、
各々釈尊に礼拝して帰っていくのです。
このように一つのお経の中で、
繰り返し教えが説かれるのは、極めて稀なことです。
釈尊は人々の能力に合わせて、
種々の行を説かれました。
ですから能力の高い人は瞑想などの
高度な修行をして覚りに至ればいいのです。
一方念仏は、能力の差に関係なく
「阿弥陀仏の本願を信じて南無阿弥陀仏と称える
だけで誰もが救われる」という行です。
釈尊は「すべての者を救いたい」と
願っておられるに違いありません。
それならば、あらゆる種々の行は説きながらも
「本当の目的は念仏を説くことにあった」と
言っても過言ではないでしょう。
法然上人はこのことを「釈迦の出世の本懐(ほんがい)」
とおっしゃっています。
「釈尊がこの世にお姿を顕されたのは、
お念仏を説くことが目的であった」ということです。
この耆闍分(ぎしゃぶん)で繰り返し教えを説かれたのは、
この念仏の教えを末代の人々に知らしめて、
みな悉く極楽へ往生させたい、という
釈尊の御心を表すのです。
お慈悲の深さ、いかに懇切丁寧であるかに
感じ入らずにはおれません。
仰いで信じなくてはなりません。
解説は以下の二書によりました。
謹んで感謝申し上げます。
『浄土三部経概説』坪井俊映著
『浄土三部経和解』川合梁定著
「下品下生」の項終わる。