2021年4月6日火曜日

一枚起請文④ 往生のためには念仏だけ

本文

「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、

疑いなく往生するぞと思い取りて申す外(ほか)には

別の仔細(しさい)候わず。」

 

現代語訳

「ただ、極楽へ往生するためには、南無阿弥陀仏と

称えるのです。

間違いなく往生するのだ、と思い定めて

お念仏を称える以外には何も細かなことはありません。」

 

 

 

極楽浄土は、「極楽浄土へ往きたい」と願う人が

 

往く所です。

 

往きたくない人を阿弥陀さまが

 

無理矢理連れて行くのではありません。

 

「極楽浄土へ往きたい」と願う、

 

誰もができるのがお念仏です。

 

往きたくない人にとれば、

 

これほど簡単なお念仏でも、「面倒くさい」と

 

思うことでしょう。

 

「極楽なんて往かなくてもいい。

 

私には地獄でじゅうぶんです」

 

などと、うそぶく人もいるかもしれません。

 

私たちは過去世の苦労を忘れてしまうので、

 

同じ過ちを繰り返してしまいます。

 

かつてあれほど地獄で苦しんだのに、

 

そんなことは一切記憶に残っていないので、

 

極楽浄土を求める心が起きにくいのです。

 

しかし、このわずか数十年の人生を生き抜くだけでも

 

これほど苦労が多いのです。

 

地獄の苦しみは、その比ではありません。

 

決して地獄行きを望むようなことがあってはならないのです。

 

「極楽浄土に往きたい」と願い、お念仏を称えるならば、

 

100%極楽往生は叶うのです。

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