本文
「ただし、三心(さんじん)・四修(ししゅ)と
申すことの候うは、皆(みな)決定(けつじょう)して
南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちに
こもり候うなり。」
現代語訳
「ただし、お念仏を称える上での、三つの心構えと、
四つの念仏生活の過ごし方が必要とされますが、
それらもすべて、「南無阿弥陀仏と称えて往生するのだ!」
と思う中に、自然と具わってくるのです」
浄土宗の教えは
「南無阿弥陀仏と称えれば、
誰もが極楽浄土へ往生できる」
という一言に尽きます。
ただ、これだけを聞いた人が
「じゃあ100円やるから称えてごらん!それでもいいの?」
「1回称えるだけでいいのなら、ラクでいいね」
などと誤解することがあるかもしれません。
それではいけませんので、
「お念仏を称える際の心の置き所」として
「三心(さんじん)」が説かれ、
「念仏をどのように実践していくか」を示すために
「四修(ししゅ)」や「三種行儀(さんじゅぎょうぎ)」
が説かれるのです。
そうなると今度は、
「三心(さんじん)や「四修(ししゅ)を
知らないと極楽へは往けないの?」
と疑問に思う人も出てくるでしょう。
もちろんそうではありません。
「三心(さんじん)」や「四修(ししゅ)」という言葉は
知らなくても、「阿弥陀さま!どうぞ極楽へお迎えください!」
と思って日々念仏を称えているならば、
すでに「三心(さんじん)」も「四修(ししゅ)」も
その中に収まっているではないか、ということなのです。
「四修(ししゅ)」
「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」