(本文)
この観を作(な)すをば、一切の仏身(ぶっしん)を
観ずと名づく。
仏身(ぶっしん)を観ずるをもっての故に、
また仏身(ぶっしん)を見る。
(現代語訳)
この観ができれば、すべての仏のお身体を観る、
と名づけます。
阿弥陀仏のお身体を観るので、
その御心を観ることにもなります。
(解説)
このようにして三昧(さんまい)に到達できれば、
阿弥陀仏だけでなく、どの仏さまのお身体をも
観ることができます。
お身体を観ることができたら、
仏さまの御心も観ることができるといいます。
なぜなら、仏さまのお身体は、
すべて仏さまの大慈悲の御心の
あらわれだからです。
阿弥陀さまが右手を挙げておられるのは、
仏の智慧でもって、人々を救うことをあらわし、
左手を垂れておられるのは、慈悲の手をもって、
人々を導くことを示したものです。