2021年4月18日日曜日

真身観文(しんじんがんもん)⑬

(本文)


この事(じ)を見る者は、すなわち十方(じっぽう)


一切の諸仏を見たてまつる。


諸仏を見たてまつるをもっての故に、


念仏三昧(ねんぶつざんまい)と名づく。




(現代語訳)


この様子を見る者は、すぐにあらゆるところの


すべての仏さまを見ることになるでしょう。


多くの仏さまを見るので、念仏三昧(ねんぶつざんまい)と


名づけるのです。




(解説)


瞑想によって、阿弥陀さまと目の当たりに


対面することができれば、どれだけ嬉しいことでしょう。


そのような瞑想の境地をサンスクリット語で


「サーマディー」といい、それを音写したのが


「三昧(さんまい)」という言葉です。


贅沢三昧などと日常に使われる言葉の語源は


瞑想の境地を意味します。


このように三昧の境地に至ることができれば


仏さまと会うことができます。


しかしそのような力がなくとも、


南無阿弥陀仏と念仏を称える者が、


いざ臨終を迎える時には、阿弥陀さま自らが


私たちの目の前にお迎えに来てくださって、


対面することができます。


それを「来迎(らいこう)」といいます。



来迎関連

https://hourinji.blogspot.com/2021/01/blog-post_28.html



必ずいつか阿弥陀さまとお会いすることはできます。


安心してお念仏を称えましょう。


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