2021年4月3日土曜日

一枚起請文⑦ 智者のふるまいをせず その一

本文

「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を

よくよく学すとも、一文不知(いちもんふち)の

愚鈍の身になして、

尼入道の無智のともがらに同じうして、

智者のふるまいをせずして、

ただ一向に念仏すべし」

 

現代語訳

「念仏を信じる人は、たとえ釈尊が生涯に説かれた

教えを十分に学んでも、〈自分を〉一文字も知らない

愚者とみなして、尼入道(あまにゅうどう)の中の

無智な人々と同じ立場に立って、

智者のようにふるまわず、

ただひたすら念仏すべきです」

 

 

 

「念仏を信ぜん人は」は

 

「念仏を信じる人は」と訳されています。

 

「信ぜん」を「信じない人」のことと思われている方が

 

たまにおられますが、それは誤りです。


「信ぜん」の「ん」は「意志」を表します。

 

ですから正確には「信じようという人は」という意味になります。

 

「たとい一代の法をよくよく学すとも」は

 

「たとえお釈迦さまが一生涯かけて説かれた、

 

釈迦一代の法を学び尽くしたとしても」です。

 

「一文不知の愚鈍の身になして」は

 

「お経のお言葉一つも知らない身だと思って」です。

 

「尼入道(あまにゅうどう)の


無知のともがらに同じうして」

 

「尼入道(あまにゅうどう)」は

 

形だけ出家の体裁をとった女性「尼」と

 

男性「入道」なのか、

 

形ばかり出家の体裁をとった、

 

学問のない者をひっくるめていうのか、

 

古来様々な議論があります。

 

その中で、私が尊敬するS先生はこのように

 

とらえておられます。

 

「尼入道」は、戦で夫を亡くした妻が、

 

互助のために集まり、

 

髪を半分落として、ひたすら念仏に励んだ、

 

聖(ひじり)集団のようなものだというのです。

 

「髪を半分剃り落とす」というのは、

 

おかっぱのような、独特の髪型であったようです。

 

そういう方々は、夫の菩提を弔うため、

 

そして自分の往生の為に

 

ひたすらお念仏を称えていました。

 

彼女たちに仏教の知識はありません。

 

仏教の知識はないけれども、本気で阿弥陀さまに

 

お任せしてお念仏を称えておられたのです。

 

だから「尼入道の無知の輩に同じうして」というのは、

 

「仏教の知識はないが、本気で阿弥陀さまにすがって

 

念仏している尼入道を手本にして」

 

と受け取るとしっくりきます。

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