2021年5月8日土曜日

仏説阿弥陀経㉝

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、


汝が意(こころ)において云何(いかん)。


何が故ぞ名づけて一切諸仏(いっさいしょぶつ)


所護念経(しょごねんぎょう)とする。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「舎利弗(しゃりほつ)よ、


あなたはこのことをどう思うか?


なぜこの経典を、〈すべての仏に護られる経〉と


名づけるのか。






(解説)


念仏を称える目的は「極楽浄土へ往生すること」です。


この世は苦しみ悩み多き娑婆世界です。


念仏を称えて、「この世界での寿命が尽きたら、


極楽浄土へ往生しよう」と目指すのです。


しかし、この世での様々なトラブルに対しては


不安があります。


そのような私たちが念仏を称えていたら、


阿弥陀仏が光を放って我々を照らし、


お護りくださるのみならず、


諸仏も護ってくださるというのです。


念仏を称える者は、現世において諸仏に護られ、


臨終の時には阿弥陀仏がお迎えくださいます。


これが念仏者の「現世利益(げんぜりやく)」です。


ここで注意が必要なのは、


「念仏者の目的」です。


目的は「極楽往生」だとしっかりと思い定めて、


「念仏を称えれば諸仏が護ってくださり、


いずれ命尽きれば極楽浄土へ往生できる」


と思い定めて、この世をしっかりと生き抜くのです。


そのような「心の安定」こそが「現世利益」だとも


言えるでしょう。


11月後半のことば 念仏の念は「思うこと」ではないの?

 11月後半のことば 念仏の「念」は声   「念」とは、ふつう「思うこと」を意味します。だから「念仏」とは「仏を思うこと」と考えるのが自然でしょう。実際、仏教の修行の中には、瞑想によって仏の姿や浄土の光景を心に思い描く行があります。静かに座り、心を澄ませ、阿弥陀仏の慈悲の相を目の...