「病気である」という自覚のない人にとっては、
薬の必要性は感じられません。
仏教も同じように、
どれだけ素晴らしい教えがあっても、
「私は何の不自由もありません」という人には
その必要性は感じられないものです。
ですから「自分はどのような能力があり、
どういう者なのか?」
を知ることが仏教の入り口になります。
その「能力・人柄・人としての器」のことを
「機(き)」と申します。
「機を知る」ことが大切です。
私たちはどんな能力を持ち、
どういう人柄なのかを知るのです。
「自分の正体を知る」と言ってもよいでしょう。
自分は果たして極楽へ往生できるような
「機」なのかどうか。
「機」を紐解きますと、
「疑心(ぎしん)、懈怠(けだい)、自力、高慢」
の
四つに収まると教えられます。
これらは、極楽への往生を邪魔する四つの障り、
という意味で「四障(ししょう)」と申します。