2021年6月3日木曜日

仏説阿弥陀経⑧

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、


彼の土(ど)を何が故ぞ、


名づけて極楽とする。


その国の衆生、もろもろの苦あることなく、


ただ諸もろの楽(らく)のみを受く、


故に極楽と名づく。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


「その国をなぜ極楽と名づけるのだろうか。


その国の人々は、あらゆる苦しみがなく、


ただ様々な楽だけを受けている。


だから極楽と名づけるのである」






(解説)


ここに「極楽」と名づけられた理由が示されています。


「極楽」とは苦しみがなく、楽だけを享受するから


極楽と名づけた、というのです。


私たちの楽しみは、掴んでは消える、


まるで霞のようなものばかりです。


「今が幸せ」という「今」が永遠に続くことは


あり得ません。


「家族がみんな仲良く健康でいるのが一番」と


言いますが、それは決してささやかな望みではなく、


達成することが不可能な望みなのです。


そのような「望みの叶わない世界」に生まれては、


年老いてゆき、生きていればいつか必ず病になり、


必ず死を迎えます。


「若くい続けたい」という望みは叶いません。


「ずっと健康でいたい」という望みも、


生きている限り必ず失われます。


「愛する人とずっと一緒にいるだけでいい」という


望みは、残酷なことに必ずいつか絶たれてしまうのです。


離れがたい最愛の人とも必ずいつか別れる日がきます。


人間関係に苦しみ悩むことも度々あります。


思いもかけず天災に見舞われ、路頭に迷うことも


あるかもしれません。


ちっとも思い通りにならない人生です。


生きていくということは大変なことです。


その「あらゆる苦しみ、悩み、痛み」がなく、


「もろもろの楽」だけを受ける世界が


「極楽浄土」なのです。


4月後半のことば

 4月後半のことば 「永遠に走り続けることはできない」 私たちの好む健康や若さは、あくまで期間限定です。 そしてその期間がいつまで続くのかは誰にもわかりません。 「健康が一番」と言っても、健康でい続ける人はいません。 健康な状態は徐々に、あるいは突然に壊されます。 同様に、「若さ...