(本文)
舎利弗(しゃりほつ)、
彼の土(ど)を何が故ぞ、
名づけて極楽とする。
その国の衆生、もろもろの苦あることなく、
ただ諸もろの楽(らく)のみを受く、
故に極楽と名づく。
(現代語訳)
〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉
「その国をなぜ極楽と名づけるのだろうか。
その国の人々は、あらゆる苦しみがなく、
ただ様々な楽だけを受けている。
だから極楽と名づけるのである」
(解説)
ここに「極楽」と名づけられた理由が示されています。
「極楽」とは苦しみがなく、楽だけを享受するから
極楽と名づけた、というのです。
私たちの楽しみは、掴んでは消える、
まるで霞のようなものばかりです。
「今が幸せ」という「今」が永遠に続くことは
あり得ません。
「家族がみんな仲良く健康でいるのが一番」と
言いますが、それは決してささやかな望みではなく、
達成することが不可能な望みなのです。
そのような「望みの叶わない世界」に生まれては、
年老いてゆき、生きていればいつか必ず病になり、
必ず死を迎えます。
「若くい続けたい」という望みは叶いません。
「ずっと健康でいたい」という望みも、
生きている限り必ず失われます。
「愛する人とずっと一緒にいるだけでいい」という
望みは、残酷なことに必ずいつか絶たれてしまうのです。
離れがたい最愛の人とも必ずいつか別れる日がきます。
人間関係に苦しみ悩むことも度々あります。
思いもかけず天災に見舞われ、路頭に迷うことも
あるかもしれません。
ちっとも思い通りにならない人生です。
生きていくということは大変なことです。
その「あらゆる苦しみ、悩み、痛み」がなく、
「もろもろの楽」だけを受ける世界が
「極楽浄土」なのです。