2025年4月30日水曜日

5月前半のことば

 5月前半のことば

「まずはやる」 井上智之


 平成27年に極楽浄土へ往生された京都北山清水寺の一代、井上智之上人がよくおっしゃっていた言葉があります。

 「まずはやる」——この短く力強い言葉には、日々の暮らしを新たに開く鍵が隠されています。

 私たちは誰しも心の中で何度となく、「こんなことをしたら、笑われるのではないか」「失敗したら恥ずかしいからやめておこう」と思った経験があるでしょう。他者の目を気にして、自らの行動を抑え込んでしまう。そのような心の癖は、前途有望な若い人たちにもしばしば見られます。経験や理解の不足が、行動への一歩を躊躇させる要因となるのです。

 そんな彼らに、井上上人は静かに、しかし揺るぎない声で語りかけておられました。「まずはやる」と。

 仏教の教えによれば、私たちの未来は自分自身の「行い」と、それを取り巻く「縁」によって構築されるものです。行いが変われば、縁もまた変わります。そして、良い縁に囲まれるためには、何よりもまず自らの行いを変えていかなければならないのです。この理を裏付けるものとして、井上上人の言葉は非常に説得力を持つものとなっています。

 確かに、目の前の結果が期待外れに見えることもあるでしょう。しかしながら、善き行いを積み重ねれば、未来は間違いなく善き方向へと動いていきます。たとえ今、その結果がすぐに現れなくても、あきらめず行動を続けること、それが何よりも重要です。

 恐れや迷いを抱えながらも、勇気を持って最初の一歩を踏み出す。その一歩こそが、私たちの歩む道筋を新たに切り拓いてくれるのです。そしてそこから生まれる経験や学びこそが、次なる一歩を後押しし、私たちの人生を豊穣たらしめるのです。

 井上上人の言葉を思い起こしながら、「まずはやる」——その覚悟が、私たちの人生をより実りあるものへと導いてくれるのではないでしょうか。

2025年4月14日月曜日

4月後半のことば

4月後半のことば

「念死念仏」


 この言葉は、浄土宗の第二祖・聖光上人のお言葉です。

 「常に死を見据え、念仏を称えよ」という教えを説かれたものです。人は誰しも、死がいつ訪れるかわからないことを知っています。それにもかかわらず、死が「今この瞬間」に訪れる可能性を意識することは少なく、あたかも明日や来週、来年が当然のように続くものと思いながら日々を過ごしてはいないでしょうか。

 聖光上人が32歳の時、異母弟の三明房様とお話しされている最中、突然三明房様が苦しみ始め意識を失われました。お伝記によればそのまま亡くなられたという説や、数時間後に息を吹き返されたという説もあります。いずれにせよ、元気だった人に死が突然訪れるという現実を、目の当たりにされた出来事でした。

 「南無阿弥陀仏」の念仏は、称えれば無病息災になるというものではありません。それは、念仏を称えるその瞬間から極楽浄土への往生が護られ、臨終の際には阿弥陀仏が直接迎えに来られ、極楽浄土へ導いていただけるという教えです。この臨終の時を「いつか」と考えて念仏を後回しにしてはならないのです。たとえ今この瞬間に死が訪れたとしても、極楽浄土へ迎え取ってください!と、常いつも念仏を称えることが大切なのです。 

聖光上人は、「出(いず)る息、入る息を待たず、入る息、出る息を待たず、助け給え阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と常に口にされていたと伝えられています。

 現代は何かと忙しい日々が続きますが、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えながら、日々の営みに取り組んでいきましょう。 

6月後半のことば

 6月後半のことば 「極楽を求める教え 世間では非常識な教え」  世間の常識というものは、えてして移ろいやすいものです。健康であればよい、若ければなおよい、人間関係が円満ならすべてうまくいく、死んだらおしまい…そうした価値観が、まるで疑いようのない真理のように語られます。しかしな...