2026年7月31日金曜日

8月前半のことば 「亡き親の しきりに恋し 蝉の声」

 8月前半のことば

「亡き親の しきりに恋し 蝉の声」

 若い頃、親の言葉を素直に聞けず、反発ばかりしていた日々はありませんでしたか。進路のことで衝突したり、ささいな注意に声を荒らげたり。

 しかし自分が親となり、泣きやまぬ我が子を抱いて途方に暮れる時、かつて自分を包んでいた親のまなざしの温かさを、痛いほどに実感するものです。「親もまた、自分と同じように悩み、迷いながら生きていたのだ」と、今なら寄り添える気がします。

 阿弥陀さまは「私を呼ぶ者は、一人残らず極楽浄土へ迎え取る」と、温かい手を差し伸べてくださっています。私たちはただ、そのお慈悲を頼りに「南無阿弥陀仏」と声を出すだけでよいのです。

 大切な人が亡くなったら、南無阿弥陀仏と称えて阿弥陀さまにお任せしましょう。きっと極楽浄土へ誘ってくださいます。そして残ったあなたも、南無阿弥陀仏と称えてこの人生を歩みましょう。先に往かれた大切な人は、お念仏を称えるあなたを、阿弥陀さまと一緒に今も優しく見守り、導いてくださっています。

 もうすぐお盆。じりじりと響く蝉の声は、まるで「お念仏を忘れるなよ」という、懐かしい人からの呼びかけのよう。極楽の同じ蓮の台(うてな)に生まれるという「一蓮托生(いちれんたくしょう)」の言葉通り、いつかまた再会できるその日まで、今日も手を合わせ、お念仏の声を響かせましょう。

2026年7月14日火曜日

7月後半のことば「人の過ちは見やすく、おのれの咎(とが)は見難し」

 7月後半のことば

「人の過ちは見やすく、おのれの咎(とが)は見難し」                           

 

 他人の欠点はすぐ目につくのに、自分の非にはなかなか気づけない。私たちは日頃、無意識に「自分」という物差しで世界を裁いています。

 たとえば、知人の機嫌が悪ければ「冷たい人だ」と憤り、意見が食い違えば「理解してくれない」と不満を募らせる。挨拶がなければ「無視された」と腹を立てる。

 けれど、自らの行動をそっと振り返ってみてください。心に余裕を失い、家族へきつい言葉を投げていませんか。自説を押し通すあまり、友人の発言を遮っていませんか。悩み事に囚われ、近隣の方の声かけを見落としていませんか。

 人間は、他者の振る舞いには厳格な審判を下します。一方で、おのれの言動には理由をつけて正当化してしまう。この偏った視点こそが、私たちを惑わす「煩悩(ぼんのう)」の働きです。

 「自分は自己中心的な存在である」と日常的に意識すること。鏡を見るように自身の姿を省みる習慣こそが、心を調える大切な第一歩となります。

8月後半のことば 「他人を尊重することが自分を尊重する一歩 」

 8月後半のことば 「他人を尊重することが自分を尊重する一歩 」   私たちはつい、自分や家族、会社など「身近な集団」の利益ばかりを優先してしまいます。「自分たちさえ損をしなければいい」という考えは、知らず知らずのうちに他者への関心を奪ってしまいます。  仏教では、こうした自己中...