考えて見れば、お念仏との出会いは不思議です。
それ以前に、人間として生まれてくることは、
甚だ不思議なことです。
人間に生まれてきても、仏教と出会い、
お念仏のみ教えと出会う人はどれぐらいいるでしょうか。
日本人の殆どが、仏教という言葉、
お釈迦さまのお名前、お念仏や極楽などという言葉は
知っているでしょう。
だけど、それを信じて称える人がどれだけいるか、
というと悲しいことですが、極めて少ない。
「受けがたき人身(にんじん)を受けて、遇いがたき本願に遇いて」
「人として生まれてきて、阿弥陀さまの本願と出会う」
そこから先です。
「起こしがたき道心を起こして」
人として生まれてきて、
阿弥陀さまに救っていただくみ教えに出会うことは、
当たり前のことではないのです。
そしてその教えを聞いて、
「そうか、私はお念仏を称えなければ
また輪廻を舞い戻るような私なのか!」と気づき、
「さあ、極楽往生を願って念佛を称えよう!」
という気持ちである、「道心(どうしん)」を起こすのです。
「離れがたき輪廻の里を離れて
生まれがたき浄土に往生せんこと、
悦びの中の悦びなり」
今まで記憶にはないけれども、
私たちは、輪廻(りんね)に縛り付けられてきました。
「煩悩(ぼんのう)」という、
強力な紐によって括り付けられていたのです。
その「煩悩(ぼんのう)」はなくせないけれど、
阿弥陀さまの力によって、
初めて輪廻(りんね)から離れることができる。
輪廻(りんね)という苦の世界から離れ出て、
極楽浄土という最高の幸せの世界に
生まれさせていただけることは、
単なる一時的な悦びではありません。
悦びの中の悦びであります。
「仕方なく嫌々極楽へ往く」のではありません。
恋い焦がれて、
「極楽へ往きたい!」
と悦んで往かせていただきたい。
まだ極楽へは往生していないけれど、
間違いなく極楽へ往生させていただく手立ては
身につけることができたのですから。
これはとても大切なことなので、
別の項を設けています。
ご覧ください。
「念仏と出会うということ」