2023年10月13日金曜日

10月後半のことば

10月後半のことば

 

明日死ぬかのように生きよ

永遠に生きるかのように学べ   ガンジー

 

 

この言葉は、ガンジーが自分の人生を通じて実践した非暴力・不服従の精神や平和への希求を表しています。
ガンジーは、死や苦難を恐れずに自分の信念に従って行動し、同時に自分自身や他者や世界について常に学び続けました。
ガンジーは、人間は変われる生き物であり、間違いから学ばなければならないと考えました。
明日死ぬかのように生きるとは、今この瞬間を大切にするということでしょう。
過去に囚われず、未来に執着せず、自分の心と行いに責任を持つということです。
永遠に生きるかのように学ぶとは、常に自分を磨き、成長し続けるということでしょう。
知識だけでなく、慈悲や智慧も学びたいものです。 

2023年9月29日金曜日

10月前半のことば

10月前半のことば

変化を嫌えば苦しみをともなう

 

あらゆるものは常に変化しています。それなのに私たちは現状に執着したり、自分の思い通りにならないことを拒絶して自ら苦しみを生むのです。

長く付き合っていると、自分や相手の気持ちや環境が変化することによって、永遠に続くと思っていた人間関係も変わっていきます。それを拒否した時に、私たちは辛い思いをします。

子どもが成長して親元を離れたり、自立するとき、親は寂しさを感じたり心配をします。それを子どもが自分の人生を歩むために必要な変化であると思う反面、「いつまでも自分の手の中に入れておきたい」と執着して辛さを感じます。

また、年齢とともに体力や健康が衰えたり、病気になったりするとき、老いや死に対する恐怖や不安を感じてしまうかもしれません。しかし、それは生きている限り避けられない変化であり、若さや健康を永遠に保つことはできません。

 このようなことはわかっていても、腹の底に落とし込むことは困難です。まずは何かストレスを感じた時に、「あらゆるものは変化する」という無常の道理に逆らって自らを苦しめていないか?と自問することを繰り返すことから始めてみてはいかがでしょうか。

2023年9月13日水曜日

9月後半のことば

 9月後半のことば

彼の岸をめざしてお念仏を

 

お彼岸とは、春と秋にある一週間のことで、この時期にはお日さまが真東から出て真西に沈みます。

お日さまが西に沈むのを見て、西の彼方にある幸せな世界「極楽浄土」へ思いを馳せて「いつか極楽へ行けますように」と願って、日頃以上にお念仏を称えるのがお彼岸です。

つまりお彼岸は「お念仏強化週間」です。

「彼の岸」は、南無阿弥陀仏とお念仏を称える人が、命尽きる時に行くことができる「極楽浄土」のことです。

「極楽浄土」はその名前の通り、「最高に幸せな世界」。

私たちが今住んでいるこの世界は、いろいろな苦しみや悩みがあります。

この世でお念仏を称えて精一杯生ききった後には、最高に幸せな世界「極楽浄土」に生まれることができます。

 極楽は死を迎えたから仕方なく行くところではありません。

 目指して行くところです。

お彼岸には普段よりも「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えて、いつか必ず極楽浄土へ行けることを願いましょう。

2023年8月30日水曜日

9月前半のことば

9月前半のことば

どんな日もかけがえのない一日


仏教では「人生は苦である」と説きます。

しかし、それは悲観的な見方ではありません。

むしろ、苦を乗り越えて幸せになる方法を示しているのです。

苦の原因を私たちは外部に求めて「○○のせい」としたいところですが、仏教ではそうは説きません。

苦の原因は私自身の「心の歪み(煩悩)」にあると説くのです。

苦から解放されるためには、まずは自分の心をよく観察し

「自己中心的な考え方になっていないか?」と自問自答することが大切です。

自己中心的な煩悩で膨らんだ見方では、毎日を「どんな日もかけがえのない一日」と捉えることはできないでしょう。

仏教の教えは、私たちに生き方のヒントを与えてくれます。

「どんな日もかけがえのない一日」と感じられるように、仏教の教えを実践してみましょう。

2023年8月14日月曜日

8月後半のことば

 

すべてはうつりかわるもの

 

この世界には永遠に変わらないものはなく、

すべてが時とともに変化していきます。


私たちは、この変化に執着したり、

抵抗することで苦しみを生み出してしまいます。


ずっと若くいつづけることはできないのに、

老いを嫌い苦しみます。


健康で居続けることはできないのに、

病気を受け入れることを拒みます。


生き続けることはできないのに、

死を恐れるのです。


ただ、それは頭では理解できても、

受け入れられないのが現実です。


そういう人を仏教では「凡夫(ぼんぶ)」といいます。


仏教の中でもとりわけ「浄土」の教えは、

凡夫のために説かれた教えです。


それは

「死の向こう側に阿弥陀仏の極楽浄土があるから、

そこにいつか行くことを願って、

南無阿弥陀仏と唱えてこの世を生き抜こう」

という教えです。


老病死のその先に、本当の幸せの世界がある。


それを信じて日々南無阿弥陀仏と唱えましょう。

2023年7月30日日曜日

8月前半のことば

 

その源を尋ね その根を培う

 

この言葉は大永4年(1524)に後柏原天皇が知恩院門跡存牛

上人に対しておっしゃったものです。


「浄土宗」という宗派は「法然上人(ほうねんしょうに

ん)」によって承安5年(1175)に開かれました。

その時から数えて来年でちょうど850年になります。


法然上人が説く「どんな者でも阿弥陀仏に救いを求め、

南無阿弥陀仏と唱えるならば、間違いなく極楽浄土へ

生まれることができる」というみ教えに、

多くの人が救いを求めました。


自らの罪深さに気づいた人

自分の無力さに膝から崩れ落ちた人

自分が築き上げてきたものや大切な人を失った人…。


仏教は今現在の生活に満足している人には

必要ないでしょう。


社会の価値観と自分の生き方が合っている人は、

そのまま生きれば良いでしょう。


しかし生きていく中で、社会でヨシとされるもの、

例えば健康・若さ・富み・名声・学歴・笑顔等々を

持てないことも、失うことも、多くの人の人生に

訪れることがあるでしょう。


その時に「念仏を唱えていたら、この世でいつか

命が尽きた後に、究極の楽土に往き生まれることができる」

という価値観を持っていることはとても心強いことです。


850年前にそんな価値観を示してくださった

法然上人の「源」を尋ねて、

しっかりと自らの「根」を培いたいものです。

2023年7月14日金曜日

7月後半のことば

手放してこそ気づくことができる


 みなさんは自分の持っているものや思っていることに

固執してしまうことがありませんか?

私たちにとって大切なものでも、

それだけに執着すると、

他のものや人に目が向かなくなります。

そして、苦しみや悩みを生み出します。

 仏様は、私たちが苦しみから解放されるために、

手放すことの大切さを教えてくださいます。

手放すというのは、

自分の持っているものや思っていることに執着しないで、

心を広く開くということです。

手放すことで、

私たちは新しいものや人に出会うことができます。

そして、感謝したり、喜んだり、

助け合ったりすることができます。

手放すことで、私たちは自分だけではなく、

他者や世界とつながっていることに気づくことができます。

 手放すことは難しいかもしれません。

でも、手放すことは捨てることではありません。

手放すことは、自分の心を豊かにすることです。

 みなさんも、今日から少しずつでも

手放す練習をしてみませんか?

そして、気づく力を高めてみましょう。

9月後半のことば

 9月後半のことば 「多様性 仏の目には 皆凡夫」   近ごろ「多様性」という言葉を耳にしない日はありません。会議でも学校でも、街頭のポスターにすら踊っています。確かに、人は千人いれば千人、百人いれば百人、異なる価値観や性格を持っている。それは事実です。しかし、だからといってその...