「どんな悪いことをしてもいいじゃない」という
「造悪無碍(ぞうあくむげ)」のことを言うと、
多くの人が「それはダメでしょ」とおっしゃいます。
でもどうでしょう?
私たちの行動は「造悪無碍(ぞうあくむげ)」に
なっていませんか?
「美味しいもん食べて行きたいところに行って、
言いたいことを言って、
テレビを観ては出演者をこき下ろし、
店に行っては店員に偉そうに言って」という
煩悩むき出しの行動をしつつ
「浄土宗は南無阿弥陀仏と称えたら救われるんでしょ?!」
というのは「造悪無碍(ぞうあくむげ)」ではないでしょうか?
私たちがいざ臨終を迎える時には
「死にたくない」「怖い」という執着が現れると
以前お伝えしました。
https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_28.html
元気な時は「俺は何も悪いことなんかしてない。
人様に後ろ指指されるようなことはしてない!」
と言えても、いざ臨終を迎えたときに
胸を張って言えるでしょうか。
「俺が俺が」と自分のためだけに生きてきた
私ではないでしょうか。
「自分さえよければいい」という生き方を
してきたのではないでしょうか。
でもそんな私が、お念仏によって必ず救われていきます。
それをお伝えするのが
「三義校量(さんぎきょうりょう)」の教えです。
大悪人は「あの悪人」ではなく「この私」です。