2021年3月12日金曜日

三義校量(さんぎきょうりょう) ⑯ 「どんな悪人でも救われる」とは? その四

「どんな悪いことをしてもいいじゃない」という


「造悪無碍(ぞうあくむげ)」のことを言うと、


多くの人が「それはダメでしょ」とおっしゃいます。


でもどうでしょう?


私たちの行動は「造悪無碍(ぞうあくむげ)」に


なっていませんか?


「美味しいもん食べて行きたいところに行って、


言いたいことを言って、


テレビを観ては出演者をこき下ろし、


店に行っては店員に偉そうに言って」という


煩悩むき出しの行動をしつつ


「浄土宗は南無阿弥陀仏と称えたら救われるんでしょ?!」


というのは「造悪無碍(ぞうあくむげ)」ではないでしょうか?


私たちがいざ臨終を迎える時には


「死にたくない」「怖い」という執着が現れると


以前お伝えしました。


https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_28.html



元気な時は「俺は何も悪いことなんかしてない。


人様に後ろ指指されるようなことはしてない!」


と言えても、いざ臨終を迎えたときに


胸を張って言えるでしょうか。


「俺が俺が」と自分のためだけに生きてきた


私ではないでしょうか。


「自分さえよければいい」という生き方を


してきたのではないでしょうか。


でもそんな私が、お念仏によって必ず救われていきます。


それをお伝えするのが


「三義校量(さんぎきょうりょう)」の教えです。


大悪人は「あの悪人」ではなく「この私」です。

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