2020年8月25日火曜日

所求・所帰・去行⑪(十悪 貪欲)

先に十悪の最後の三つを

 

「限りなくむさぼる」

 

「気にくわないことがあると怒る」

 

「真理に逆らって正しくものごとを見ることができない」

 

このように表現しました。

 

この三つは私たちの「煩悩」そのものです。

 

「限りなくむさぼる」ことを

 

「貪欲(とんよく)」といいます。

 

皆さんは欲しい物がありますか?

 

もしあるとすれば、欲しくてたまらない物が

 

手に入った時の状況を思い浮かべてください。

 

本当に欲しい物が長年の苦労が成就して、

 

手に入りました。

 

手に入った瞬間は「もう他に何もいらない!」と

 

思うかもしれません。

 

しかし、その満足感は長く続かず、

 

次にまた別の物を欲しくなることでしょう。

 

「欲しい」という「欲」は「物」とは限りません。

 

お金、土地、美貌、若さ、地位、名誉、人・・・。

 

雨が降れば「晴れ」を欲しがり、

 

晴れれば「雨」を欲しがります。

 

争いが起これば「平和」を求め、

 

平和になれば「争い」を求めます。

 

いつまでたっても満足することはありません。

 

これが「貪欲(とんよく)」です。


2020年8月24日月曜日

所求・所帰・去行⑫(十悪 瞋恚)

十悪の九つ目は「瞋恚(しんに)」です。

 

「気にくわないことがあると怒る」ことです。

 

自分の気にくわないことがあると、

 

それを排除しよう、排除しようとする心です。

 

それを自分より立場の弱い者に

 

怒りは向きやすいものです。

 

子どもや後輩、部下、買い物先の店員など。

 

以前こんなことがありました。

 

お昼にチェーンのセルフうどん店に

 

一人で食事に参りました。

 

私が列に並んでいると、私の後ろに並んだ

 

80代ぐらいの夫婦の男性が怒鳴りだしました。

 

何事かと思って見ると、

 

どうも店員の女性が「太い麺ですか?細い麺ですか?」

 

と尋ね、客の男性が「太い麺」と答えたのに

 

店員が聞き間違えて「細い麺ですね」と言ったことに

 

腹を立ててどなっているようです。

 

ただの聞き間違えにすぎず、店員は謝っているのに

 

怒りが収まらず怒鳴り散らしているのです。

 

次に揚げたテンプラが積まれているのを見て

 

客の男性は「おい!お○はん!これは揚げたてなんか?!」

 

と汚い言葉を投げつけます。

 

「揚げたものを積んでいますので、

 

揚げたての熱々ではありません」と

 

店員が冷静に答えます。

 

男性は「熱々と違うのか!何だそれは!」

 

とプリプリ怒っています。

 

私はよほど「いい加減にしなさい!みっともない!」

 

と言おうかと思いましたが、何とか押さえました。

 

この男性がなぜこれほど些細なことで

 

怒っているのはわかりません。

 

普段からこんな態度でしたら、

 

きっとあちこちでトラブルが絶えないでしょう。

 

奥さんは隣で顔を赤らめ、店員に謝っています。

 

でも実は、それを見ている私も怒りを

 

起こしてしまっています。

 

皆さんはいかがでしょうか?

 

自ら怒り、人の怒りを見ては怒り、

 

人に当たり、物に当たり、時間がないと

 

イライラする毎日ではありませんか?

 

一日の始まりに、怒り、一日の大半怒っている人が

 

幸せになれようはずもありません。


これら「貪(とん)・瞋(しん)」に「愚癡(ぐち)」を加えて


「三毒(さんどく)煩悩(ぼんのう)」といいます。


煩悩(ぼんのう)の代表です。


「愚癡(ぐち)」は


「真理に逆らって正しくものごとを見ることができない」ことです。


先に「無明(むみょう)」の項でもお伝えしたように


「無常(むじょう)」や「無我(むが)」「苦」


といった、避けようのない真理に逆らう私たちです。


「三毒(さんどく)」なんて、


すごいネーミングだと思いませんか?


「毒」なのですから、自らを傷つけます。


自分にとっては「自分が得をする」と思って


欲張っているのに、実はそれが自分を


傷つけているというのです。 


「自分を守ろう」として怒っているのに、


それが自分を傷つけているというのです。


恐ろしいことだと思いませんか?


「愚癡(ぐち)」「無明(むみょう)」「邪見(じゃけん)」


などの言葉はすべて「避けられないもの」


「避けられないこと」に逆らって「苦」を味わう


私たちの「愚かな心」をいいます。


このような愚かな心を持ち合わせている私たちは


「自分だけを生かそう」とします。


「自分だけを生かそう」として「自分だけ得をしよう」と


思い、自分に寄せてくるのが「貪欲(とんよく)」です。


「自分だけを生かそう」として気にくわないものを


排除しようとするのが「瞋恚(しんに)」です。


この「愚癡(ぐち)」の心を根源として


「貪欲(とんよく)」や「瞋恚(しんに)」の


心を起こします。


これらの「煩悩(ぼんのう)」を断つことができれば、


あらゆる苦しみから逃れ、覚りの智慧を得ることが


できるといいます。


自らを見つめると、覚りにはほど遠い自分に気づかざるを得ません。

2020年8月23日日曜日

所求・所帰・去行⑬(十悪 邪見)

十悪の最後は「邪見(じゃけん)」です。

 

「邪見(じゃけん)」とは


「謝った見解」という意味で、


仏教が説くところの「因果の道理」がわからない、


ことをいいます。


何事も「原因」があって「結果」があります。


自らの生活習慣や、ストレスを「因」として


病気という「果」が生まれます。


今の苦しい「果」だけを見て、


「私は何も悪いことをしていないのに、


こんな目に遭うなんて」と嘆く私たちです。


「何か原因があったのだろう」とは、なかなか


納得できない私たちです。


しかし、「果」があるからには、必ず「因」があります。


「善因(ぜんいん)」は「楽果(らっか)」を生み、


「悪因(あくいん)」は「苦果(くか)」を生みます。


「自分の行為」が因となり、「自分に」果がもたらされます。


あなたは、自分にとって苦しいことがもたらされた時に


「何らか私は悪い因になる行為をしたに違いない」と


考えることができるでしょうか。


それよりも、「あいつのせい」「学校のせい」「政治のせい」と


他者に因を求めてしまうのではないでしょうか。


あるいは「何も悪いことをしていないのに」と


因を否定してしまうのではないでしょうか。

 

私たちは「煩悩(ぼんのう)」を持ってあらゆる行為を


するため、「善因(ぜんいん)」を積むことが


とても困難です。


それよりも、圧倒的に「悪因(あくいん)」を積んでしまい、


自ら「苦果(くか)」を招いてしまうのです。


因果の道理を聞いても、それを認められない私たちは、


聞いていないのと同じです。


これが「邪見(じゃけん)」なのです。

 

これら十悪は「悪い行いの代表」であり、

 

「日常的に私たちの誰もが持ち合わせているもの」

 

なのです。

 

「十悪」は地獄・餓鬼・畜生へ生まれる行いです。

 

その「十悪」の者が阿弥陀さまの力によって

 

救われるというのです。

2020年8月22日土曜日

所求・所帰・去行⑭(五逆)

五逆(ごぎゃく)」は「父を殺す」「母を殺す」

 

「悟りを開いた人を殺す」

 

「仏さまに血を流すような怪我をさせる」

 

「佛教教団を仲違いさせる」という五つです。

 

無間地獄(むけんじごく)行きの行いです。

 

「ここまではしないだろう」と思うけれども、

 

「父や母を罵ったりはしていまいか?」

 

「仏像を粗末にしてはいまいか?」

 

「佛教教団の仲間と、

 

檀家同士、信者同士仲良くしているか?」

 

と反省すべきです。

 

近年「老老介護」という言葉も生まれ、

 

介護疲れによって心身共に疲弊して

 

思いあまって親に手を掛ける、という事件を

 

多く見聞きするようになてしまいました。

 

仏教を勉強しているある信徒さんが、

 

「和尚さん、私五逆を犯しました。

 

年老いた親の介護をしているとき、

 

何度となく、早く逝って欲しい!と

 

親の死を願いました」

 

と告白されました。

 

もちろん実際に手を掛けたわけではありませんが、

 

ご自身の自覚としては、五逆同然と感じられたのでしょう。

 

私は、この事を他人事とは思えませんでした。

 

皆さんいかがですか?

 

そういうこのような十悪五逆の私たちを

 

迎えていただける浄土は西方極楽浄土のみです。

2020年8月21日金曜日

所求・所帰・去行⑮(五逆 悪人が救われる?)

「浄土宗は悪人が救われると説くのですね。

 

そこが納得いかないのです」

 

と言われることがあります。

 

その方はおそらく、外に向けて指を指し

 

「あの悪人」が救われるとおっしゃっていると思われます。

 

しかし、それは正しくありません。

 

自分自身の心を見つめた時に、

 

日常的に「十悪」を犯し、

 

場合によっては「五逆」も犯しかねない心を

 

持ち合わせているのは自分自身であると

 

気づいた時、「あの悪人」に向けた指が、実は

 

自分自身を指していることに気づくでしょう

 

十悪五逆の者に至るまで、

 

どんな能力の者でも上から下まですべて網羅して

 

迎え取っていただける浄土は

 

西方極楽浄土のみなのです。

 

だから求める所は西方極楽浄土なのです。

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 8月前半のことば 「亡き親の しきりに恋し 蝉の声」   若い頃、親の言葉を素直に聞けず、反発ばかりしていた日々はありませんでしたか。進路のことで衝突したり、ささいな注意に声を荒らげたり。  しかし自分が親となり、泣きやまぬ我が子を抱いて途方に暮れる時、かつて自分を包んでいた親...