2021年5月18日火曜日

仏説阿弥陀経㉓

(本文)


舎利弗(しゃりほつ)、


衆生(しゅじょう)聞かん者は、


まさに発願(ほつがん)して、


かの国に生ぜんと願ずべし。


所以(ゆえん)は何(いか)ん。


かくの如きの諸もろの


上善人(じょうぜんにん)と倶(とも)に


一処(いっしょ)に会することを得(う)ればなり。






(現代語訳)


〈釈尊から舎利弗(しゃりほつ)に向けてのお言葉のつづき〉


舎利弗(しゃりほつ)よ、


これらのことを聞いた人々は


極楽に生まれたいと願うべきである。


なぜなら、このような善い人たちと、


一緒に同じ場所にて会うことができるからである。





(解説)


極楽は死んだ後に、嫌々往く所ではありません。


「本当に素晴らしいところだから、


極楽を目指せ」と釈尊がお勧めくださっているのです。


極楽へ往くためには、「極楽へ往きたいと願い、


南無阿弥陀仏と称える」のみです。


そのように念仏を称える人が極楽へ


往きそびれることはありません。


一人も漏れることなく、100%往生は叶います。


お念仏を称えることなしに亡くなった人には


信仰を持つ者が、その方の極楽往生を願い、


「阿弥陀さま、どうかこの方をお救いください」と


念仏を称えましょう。


もしあなたが先に極楽浄土へ往き、


この世に残してきた人の先行きが心配なら、


極楽から導いてあげればよいのです。


極楽へ往けば、この世では知り合うこともなかった


素晴らしい方と出会うことができます。


また、この世で縁があった方ともお互いが


お念仏で導き合い、極楽浄土で再会することもできます。


このように「極楽」という「定まった場所」で


逢えることを「倶会一処(くえいっしょ)」と申します。


極楽浄土への往生を目指して、お念仏を称えていたら、


必ず愛する人との再会は叶います。


釈尊がちゃんと『阿弥陀経』で説いて


くださっているのですから、間違いありません。



「所求・所帰・去行」の項より


「倶会一処」

https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_21.html


「回向」

https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_22.html


「一蓮托生」

https://hourinji.blogspot.com/2020/08/blog-post_23.html

 


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