お釈迦さまが説かれた仏教の教えは
「人生には悩み・苦しみがともなうものなのだ」
ということをそのまま受け入れる、というところから始まります。
お釈迦さまは私たちが人生において必ず出会う
「思い通りにならないもの」をお示しくださいました。
まずは「生・老・病・死」の「四苦」です。
「生苦」は「生まれてくる苦しみ」です。
全く憶えていませんが、産道を通ってくる時は
相当な苦しみを味わうそうです。
赤ん坊の頭蓋骨は柔らかいので、
変形しながら何とか産道を通ってきますが、
その苦しみは相当なものだといいます。
私の長男がまだお腹の中にいるとき、産婦人科の先生が
「お腹の中からも声は聞こえているようです。
1歳半ぐらいになって、突然お腹の中でどう聞こえていたか、
どう思っていたか、などを話す子が稀にいるんですよ」
とおっしゃっていました。
殆どの子は生まれるときに忘れてしまうのだそうです。
真偽のほどはわかりませんが、興味深い話です。
お釈迦さまが前世の記憶を失わなかったのは、
お母さまマーヤさまの右脇から生まれたからだという説明もあります。
面白いですね。
仏教では、あらゆる生きものは死を迎えたら
次にまた生まれ変わるといいます。
生きている間に経験した色々なこと、学習が
生まれ変わった先に生かすことができればいいのですが、
そうはいきません。
生まれ変わって産道を通る時に、あまりに苦しすぎて、
すべて忘れてしまうのだそうです。
だから次に生まれ変わった先で経験を生かすこともできず、
愛する人と再会しても、再会を喜び合うこともできないのです。
「老苦」は文字通り「老いていく苦しみ」です。
子供の頃は「大きくなったらプロ野球選手になろう!」
などと夢を見るかもしれません。
だんだん背が伸び、色んなことを覚え、
力がつき、成長していきます。
その成長が一生ずっと続けば老いの苦しみはないのでしょうが、
ある時期がきたら成長は止まります。
若さや体力を維持しようと努力をすれば、
ある程度は老いのスピードを落とすことができるようです。
しかし決して止めることはできません。
それを「もう40歳になってしまった。僕もおじさんだ」
と嘆いたり、あるいは
「アンチエイジングよ!いつまでも若くいましょうよ!」
と自他を鼓舞しても、必ずその戦いはいつか敗北を迎えます。
思い通りにはならないのです。
『ブッダのことば』
宮元啓一