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2020年5月14日木曜日

お釈迦さまのご生涯①(ご生誕)

お釈迦さまは2500年前のインド、マガダ国という国の属国、カピラバストゥーという小さな国の王子としてお生まれになりました。

カピラバストゥーはシャカ族の国です。

シャカ族は早くから農耕を行い、人々の性格は温厚で平和な国であったといいます。

お父さまはシュッドーダナ王という王さまで、お母さまはマーヤさまといいました。

お母さまのマーヤさまは隣の国の王姫で、お二人はとても仲が良かったそうです。

あるときマーヤさまは白い象の夢を見て、ご懐妊なさったと伝えられます。

マーヤさまは当時の習慣にしたがって出産のために多くのお供を連れて実家に向かわれました。

その途中、ルンビニーという所を通られた時、色とりどりの花が咲き乱れてあまりに美しかったので、そこで休憩しようということになりました。

マーヤさまは無憂樹の橙色の花を触ろうと右手を差し出したその時、右脇からお釈迦さまがお生まれになったというんです。

そのお誕生を天も祝って甘露の雨を降らせたといいます。

お生まれになった赤ん坊は七歩歩んで右手を高く天に指さし、左手を大地にさして、「天上天下唯我独尊」とおっしゃいました。

これが4月8日で、今も「花まつり」をして、花御堂に誕生仏をお祭りして、甘露の雨にちなんで甘茶をかけてお釈迦さまののお誕生をお祝いします。

七歩歩いたのは後にお伝えしますが、「苦しみの六道を越える」という意味があります。

また「天上天下唯我独尊」という「天の神々の含めて私が最も尊い存在である」とおっしゃいました。

これは実はお釈迦さまがお覚りになられた後、ブッダになられた後におっしゃった言葉を、後の人がお誕生の時のお話として伝えたようです。

「自分のことしか考えていないわがままな人」を唯我独尊と言うことがありますが、お釈迦さまはわがままではなく「苦しみから逃れる道を覚った、尊い方である」ということを伝えるものです。

お生まれになった赤ん坊はシッダールタと名づけられました。

お母さまのマーヤさまは、悲しいことにシッダールタ王子がお生まれになってわずか7日でお亡くなりになりました。

このことはシッダールタ王子に後々まで大きな影響を与えたことと思われます。

やがてマーヤさまの妹、マハーパジャーパティーさまが後添えに入られてお釈迦さまを育てられました。

後にこのマハーパジャーパティーさまはお釈迦さまのお弟子となられまして、女性の僧侶第1号になられるんです。


『おしゃかさま』
高橋良和

2020年5月13日水曜日

お釈迦様のご生涯②(幼少期)

シッダールタ王子がお生まれになって間もなく、アシタ仙人という仙人がお城に訪ねて来ました。

仙人は
「立派な王子様がお生まれになったと聞いてやって来ました。一目王子様と会わせてください。」
と言います。

仙人はまだ赤ん坊のシッダールタ王子を見るなりポロポロと泣き出します。

王様は「何か不吉なことでもあるんですか?」と仙人に尋ねます。

仙人は
「そうではありません。この王子様が成人したならば、娑婆世界を統治する、転輪浄王になるか、覚りを開いてブッダになるかどちらかになるでしょう。しかし私は王子様が成人するまで生きていられないでしょう。それが残念でなりません。」
と泣いたといいます。

シュッドーダナ王は、転輪浄王になってくれればいいけれども、ブッダになったら国を捨てて出て行ってしまいますから困ります。

ですから、国を捨てて出て行こうなんて気が起こらないように、生まれてきた子に贅沢三昧させるのです。


春には春を楽しむべく造られた宮殿に住まわせ、夏には夏、冬には冬の宮殿を与え、おいしい物を与え、よい着物を与え、美しい女性に身の回りの世話をさせ、快楽という快楽を与え続けます。

普通ならとんでもない馬鹿息子が出来上がるところでしょうが、そこは違いました。

シッダールタ王子はそういった贅沢を楽しむことなく、物思いに耽る少年であったといいます。

あるとき、村の農耕祭に招かれて畑に鍬を入れる様子を観ていましたら、鍬によって土が耕され、土の中から虫が出て来ました。

何気なくその虫を見ていると、小鳥が飛んできて、虫を咥えて飛んでいきました。

一瞬の出来事でしたが、シッダールタ王子は悲しみに包まれます。

強いものが弱いものを殺し、更に強いものが殺す。

かく言う私たちもあらゆる生きものの命を奪って生きている。

生きとし生けるものは何のために生きているのであろうか。

人間は争いを好みます。

大昔から殴り合いを見たり、殺し合いを見るのは権力者の娯楽でした。

今でもあらゆる形で競争をし、その勝ち負けの競い合いを人は楽しみとして見ます。

人が喧嘩をしていると人だかりができます。

「やれ!やれー!」なんてね。

仲の悪い人が隣り合わせになっていたりすると、みんな見てみないふりをしながら、興味津々です。

人は争いが大好きです。

マグロが解体されるのがショーになる。

殺され、身体が切り刻まれているのに、見ている人はニコニコして、舌なめずりをして見ている。

しかしシッダールタ王子はそうではありませんでした。

虫が小鳥に食べられ、小鳥が大きな鳥に食べられる様子を見て、笑うことはできません。

深い悲しみに包まれます。

お父様のシュッドーダナ王は、沈みがちは王子を心配しまして、隣国から美しいヤソーダラー姫を選んで王子の妃にしました。

20歳頃のことと言われていますが、それから出家されるまでの9年間は、外から見れば幸福そのものに見えたことでしょう。

後にヤソーダラー姫もお釈迦様のお弟子となられます。

『ブッダのことば』
中村元訳


2020年5月12日火曜日

お釈迦様のご生涯③(四門出遊)

ある時、シッダールタ王子は東の門から家来を連れて

街を見物に出かけました。

東の門から出ると、お年寄りを見かけます。

耳は遠く、腰は曲がりまっすぐに歩くこともできません。

シッダールタ王子は家来に尋ねます。

「私もいずれあのようになるのだろうか?」

家来は答えます。

「生きていれば必ずあのように老人になることでしょう。」

シッダールタ王子は「そうか」と肩を落としてお城へ帰ります。


気を取り直して別の日にまた家来を連れて南の門から出ると、

病で苦しむ人に遭遇します。

シッダールタ王子は家来に尋ねます。

「私は今健康であるが、あのように苦しむことがあり得るのだろうか?」

家来は答えます。

「はい。長く生きていれば、いつか必ず病になるでしょう。」

「そうか」と肩を落としてシッダールタ王子は城へと帰って行きます。

また別の日に家来を従えて西の門から出ますと、

今度は葬式の行列に遭遇します。

シッダールタ王子は家来に尋ねます。

「あれは何であるか?」

家来は答えます。

「あれは葬式です。一人の人が死を迎えたのです。」

「人は必ず死を迎えるのであるか?」

「はい。生きている者は必ずいつか死を迎えます。」


「そうか」と肩を落としてシッダールタ王子は

城へと帰って行きます。

最後に北の門から出かけた時に、

清い出家者と出会ったといいます。

シッダールタ王子はその清い出家者に密かに憧れを抱きます。

このお話が有名は四門出遊(しもんしゅつゆう)です。

お釈迦さまの出家の動機として伝えられてきました。

私たちの誰も逃れることができない苦、

特に「老・病・死」という三つの苦しみに

ついて、シッダールタ王子の

お話しを通して考えさせられます。

『スッタニパータ』
荒牧典俊・本庄良文・榎本文雄訳


2020年5月11日月曜日

お釈迦様のご生涯④(出家)

今もインドにはたくさんの出家者がいます。

沙門(しゃもん)と言います。

王子が沙門になろう、と心の中では決意を固めていた、

そんな時に、我が子の誕生です。

思わず王子は「ああ、ラーフラ!」と叫ばれた。

「ラーフラ」というのは「妨げ」とか「邪魔者」っていう意味ですから、

「ひどいなあ」と思われるかもしれません。

「子供を授かったら出家しにくくなってしまう」ということなのでしょう。

その「ラーフラ!」という言葉をお供の人が聞いていて、

王さまに「王子はお生まれになった赤ん坊を

ラーフラと名づけられました!」と報告してしまいました。

それでその子はそのまま「ラーフラ」

つまり「邪魔者」という名前がついてしまったというのです。

この「ラーフラ」さまは漢訳されるときに、

「らごら」と訳されまして、お経の中にも出てまいります。

ご法事などでもよく読まれる、『浄土三部経』の中の

『阿弥陀経』の冒頭にも登場します。

「長老舎利弗 摩訶目犍連 摩訶迦葉 摩訶迦旃延 

摩訶倶絺羅離婆多 周利槃陀伽 難陀 阿難陀 羅羅」

阿弥陀経を説かれる時に列席していた

お釈迦さまのお弟子が順番に出てまいりまして、そこにも登場します。

らごらさまも後にお釈迦さまのお弟子となられ、

「釈迦の十大弟子」の一人として立派に覚られるのです。

さてある日、宴会が催されまして、昼間には美しかった

女性たちもだらしなく眠りこけていました。

その姿を見て、王子はたまらなく嫌な気持ちになられました。

昼間は着飾って化粧して美しく整えていても、それはあくまで仮面にすぎません。

気を悪くされたら申し訳ありません。

ただ、王子は本質を見抜いたのですね。

そこで「出家するのは今だ」と御者のチャンナに命じて、

愛馬のカンタカにまたがって王宮を抜けだして逃げて行き、

追っ手が来ないことを確認して髪の毛を剃り落として

着物を出家者の粗末なものに着替えました。

御年29歳の時であります。

「父母や妻子と別れることは忍びがたいことだけれど、

こうしないと長年の老病死の悩みを解決できない」と思い、

そのことをチャンナに伝え、シュッドーダナ王へと伝言を頼んだのです。

王子は新興の大国でありますマガダ国の首都、

ラージャグリハへ向かい、当時有名であった

二人の師匠に次々に教えを請われます。

そこで瞑想を学んですぐに体得してしまうんですが

「この瞑想では目的は果たせない」と思われて、師の元を去っていきます。

インドの修行者は非常にストイックで、

今でもインドに行くと多くの修行者と会うことができます。

肉体を苦しめることによって精神の安定が得られると

信じている人がお釈迦さまの時代から今に至るまで存在します。

王子も同じく苦行を始められました。

まずは食事を減らすことから始まって、

断食をしたり、身体の一部を焼いたり、息を止めたり、

直射日光にあたって暑さに耐えたり、ありとあらゆる苦行を試みます。

それによって肉はそげ落ち、あばら骨があらわになって、

お腹の皮が背骨にくっつき、血管が外から見えるほどになりまして、

ついに生死をさまようほどの苦行を続けていかれたんです。

思えば29歳で出家をしてから6年。

実はお父さんのシュッドーダナ王は王子を心配して、

5人の家来を送り込んで、王子のそばで修行させていました。

その5人の修行者も、王子の苦行をみて「死んでしまうのでは?」

と案じたほどだったといいます。

しかし、どれだけ身体を痛めつけても、

覚りの智慧を得ることはできませんでした。

そんなとき、たまたま民謡を歌う農夫の声が聞こえてきました。

その歌詞が「いざ我は琴を鳴らさん。張りすぎても鳴らぬ。

弱すぎても鳴らぬ。ほどほどの調子にしめて、我はいざ琴を鳴らさん。」

という歌詞です。

王子はそこに感じるものがあって

「このまま極端な苦行を続けても何も得るものはない」

ということに気づかれたのです。

そこで大きな河の対岸へ渡って木の下で身体を横たえて休むことにしました。

ちょうどそばを通った村娘のスジャータが乳がゆを王子に捧げたんです。

王子はこれを飲んで気力と体力を回復されました。

コーヒーフレッシュの「スジャータ」っていうのはここからきています。

「お釈迦さまの身体を癒やすために乳がゆを与えた村娘」

の名前からとったのだそうです。

その姿をみていた5人の修行者は「王子は堕落した」

と思い込んで王子に失望して、

バラーナシーのサールナートへと去っていきます。

『真理のことば・感興のことば』
中村元訳


お釈迦様のご生涯⑤(成道)

一日中瞑想をしておられる王子の元へ悪魔がやってきて、いかにもいたわるように
やさしくささやきかけてきます。

「そんなにやせて、疲れただろう。そんなに頑張っても死んでしまったら終わりだよ。」

それに対して王子は「悪魔よ立ち去れ、私には信と精進と智慧がある!」と退けます。

悪魔たちはある時には剣を持って、ある時には美女を遣わして、ある時には暴風を
起こして王子の修行の邪魔をします。

王子はその邪魔に打ち負かされることなく深い瞑想に入っていかれます。

この悪魔というのは、私たち自身の煩悩を表すと考えられます。

「さあ、今日は一日頑張るぞ!」

と思っても、「やっぱりちょっとテレビを観よ。」とか、

「パソコンいじろ」とか、

「昼寝しよ」という誘惑に負けてしまうことはありませんか?

貪りや怒りや嫉妬・妬み・羨み、自己顕示欲や自己承認欲求やら、そういうものが

正しく見る目を曇らせます。

我々は外から内からの誘惑に邪魔されて中々一つことを成し遂げるのに苦労します。

王子の元に現れる悪魔たちは、そういった私たち自身の中にある煩悩を表すものなのです。

スジャータから乳がゆをもらって元気をつけて、瞑想に入ってから49日目の明け方、

王子の心は精神の統一がグッと深くなり、覚りの智慧が生じてきました。

今まで覆われていた闇が取り払われて、明るい光が心に射し込みました。

王子35歳の12月8日、明けの明星がひときわ輝いた時、王子はついに覚りへと到達
しました。

我々はここをもって、シッダールタ王子をシャカ族出身の聖者として、

「釈尊」とか「お釈迦さま」とお呼びして敬うのであります。

この釈尊お覚りの日は12月8日、上の世代の方は、

「真珠湾攻撃の日」と記憶されていることと思いますが、

仏教ではお釈迦さまが覚りを開かれた、成道された日であります。

お寺では成道会などを行って、お釈迦様の成道を祝うのでございます。

法輪寺は正式には「成道山・獅子吼院・法輪寺」

(じょうどうざん・ししくいん・ほうりんじ)といいます。

町中にあってもお寺には「山号(さんごう)」


「院号(いんごう)」


「寺号(じごう)」があります。

山号に当たる「成道山(じょうどうざん)」は

正にこのお釈迦さまの「成道(じょうどう)」からとられた名前です。

院号にあたる「獅子吼院(ししくいん)」は

仏が説法するとまるで獅子(しし)が吼える如くである、

というところからとられました。

寺号の「法輪寺」は、仏の教えが車輪の如く止まることを知らず

ことを表す「法輪」からとられた名称なのです。

お覚りになった場所はガヤーという街の近くで、

お釈迦様、ブッダが覚られた場所、ということで

「ブッダガヤー」と呼ばれるようになりました。

お釈迦さまはご自身が覚られて、その悦びをゆっくりと味わっておられました。

お釈迦さまはご自身があらゆる苦しみから逃れるために修行してこられました。

その目的は達成された。

すべての苦しみから逃れる、覚りの境地に到達された、瞑想を続けて、

その境地をしみじみと味わっておられたのです。

そんなお釈迦さまの元に、この世界の主と言われる梵天さまが現れて、

「どうかお釈迦さま、煩悩だかけの人々に教えを伝え導いてください。お願いします。」

と説法を勧めてくださったというんです。

しかし煩悩だらけの心を持った人々にこの教えを伝えても、

恐らく人々は理解することができないであろう。

覚っていない者に覚りの境地を説いても理解できないであろう。

覚りの境地を言葉にしたり文字にすると、必ず誤解を生むであろう。

「言葉にすれば嘘に染まる」という歌がありましたが、その通りです。

覚りの境地は言葉になりません。

それならば、このまま自分は覚りの悦びを味わったまま、

人には伝えずに命尽きるまで過ごそう、とお考えになりました。

しかし梵天は三度に亘ってお釈迦さまにお願いされます。

三顧の礼です。

梵天の願いに応えて、お釈迦さまは説法の決意を固められたといいます。

このエピソードは、お釈迦さまご自身の

心の中の葛藤を表すとも言われていますが、

いずれにせよ、お釈迦さまが人々に教えを

伝える決意をなさったからこそ、

我々はこうやって仏教の教えを知ることができるのです。

『仏教百話』
増谷文雄


2020年5月10日日曜日

お釈迦様のご生涯⑥(梵天勧請・初転法輪)

お釈迦さまはご自身が覚られて、

その悦びをゆっくりと味わっておられました。

お釈迦さまはご自身があらゆる苦しみから

逃れるために修行してこられました。

その目的は達成されました。

すべての苦しみから逃れることができた。

覚りの境地に到達した。

瞑想を続けて、その境地をしみじみと味わっておられたのです。

そんなお釈迦さまの元に、

この世界の主と言われる梵天さまが現れて、
「どうかお釈迦さま、煩悩だかけの人々に

教えを伝え導いてください。お願いします。」

と説法を勧めてくださました。

しかし煩悩だらけの心を持った人々にこの教えを伝えても、

恐らく人々は理解することができないであろう。

覚っていない者に覚りの境地を説いても理解できないであろう。

覚りの境地を言葉にしたり文字にすると、必ず誤解を生むであろう。

「言葉にすれば嘘に染まる」という歌がありましたが、その通りです。

覚りの境地は言葉になりません。

それならば、このまま自分は覚りの悦びを味わったまま、

人には伝えずに命尽きるまで過ごそう、とお考えになりました。

しかし梵天さまは三度に亘ってお釈迦さまにお願いされます。

三顧の礼です。

梵天の願いに応えて、お釈迦さまは説法の

決意を固められたといいます。

このエピソードは、お釈迦さまご自身の心の中の

葛藤を表すとも言われていますが、

いずれにせよ、お釈迦さまが人々に

教えを伝える決意をなさったからこそ、

我々はこうやって仏教の教えを知ることができるのであります。

説法の決意をされたお釈迦さまは、

まず最初に誰に説法しようかとお考えになりました。

まったく救いを求めていない人よりは、

救いを求めて努力している人の方が最初はいいだろう、

と思われて、5人の修行者を思い出しました。

皆さん、5人の修行者を覚えておられますか?

〈お釈迦さまのご生涯④(出家)参照〉


シュッドーダナ王がシッダールタ王子を心配して

5人の家来を送り込んだのですね。

その修行者たちはその内に本気で修行にのめり込んで

覚りを求めるようになられました。

シッダールタ王子とは苦行仲間としてお互い研鑽されていたんですね。

ところがシッダールタ王子は

「極端な修行では覚ることができない」と気づかれて、

スジャータから乳がゆをもらって、

体を癒やして改めて瞑想に入って覚りに至られたわけです。

しかし5人の修行者は王子が乳がゆを飲まれた時点で

「彼は堕落した」と勘違いして離れていくわけです。

その後王子が覚りに至ってお釈迦様となられたことを知らないんですよ。

お釈迦様はブッダガヤから約200キロもの道のりを、

5人の修行者がいるサールナートまでやってきました。

サールナートというところは、バラナシーという

ヒンズー教の聖地に近いところです。

バラナシーは昔はベナレスと呼ばれていました。

いわゆる皆さんがイメージする「ガンジス川」、

ヒンズー教の方が川の中に入って身を清めたり、

亡くなった方が火葬されて聖なるガンジス川に流されていくのを

テレビなどでもごらんになったこともおありではありませんか?

あのバラナシーからバスに乗って30分ほどのところにサールナートがあります。

5人の修行者を探して200キロの道のりを

10日かけてお釈迦さまはやってこられました。

5人の修行者はお釈迦さまの姿を見つけてささやき合いました。

「あそこからシッダールタがやってくるが、彼は堕落した男だ。

ここへやってきても礼を尽くす必要もない。

まあ遠くから来たのだから座るぐらいは許してやってもよかろう。」

ところがお釈迦様が近づいてこられると、

一人はお釈迦様の足を洗う水を持ってきて、

一人は座席をつくり、一人は足を拭く布をもってきてもてなしました。

覚りを得て威厳に満ちたお釈迦さまのお姿を見て、体が自然に動いたのです。

お釈迦さまは

「あなたたちは私の顔色がこのように輝いているのを

今まで見たことがありますか?」

と尋ねられました。

彼らは

「こんなに晴れ晴れとしたお顔を見たことはありません。」

と答えました。

お釈迦さまは

「私は覚ったのだ。これからは私を友と呼んではいけない」

とおっしゃり、

それを聞いた彼らはその姿の尊さに感激して説法を聞きました。 

『神々との対話』
中村元訳
                   

2020年5月9日土曜日

お釈迦様のご生涯⑦(四聖諦)

お釈迦さまは覚りを得て、

まず「この世の快楽を追求しても本当に幸せになることはできませんよ」

と説いて下さいます。

お金持ちになれば幸せかというと、決してそうではありませんね。

求めて求めて欲張り、人を押しのけて

金持ちになったら幸せになるでしょうか。

美しい異性、美男美女が自分の伴侶になれば幸せかというと、

そうでもなさそうです。

男前が綺麗な奥さんと結婚したら手放しで幸せなのかというと、

こちらもどうもそうでもなさそうでしょ?

次々に愛人を作り、欲望の限りを尽くした人が幸せになるのでしょうか?

それも怪しいですね。

反対に「楽しいことを追い求め、幸せを追い求めたら不幸になっていく」

と言えるのかも知れません。

お釈迦さまは「こうすれば楽ができる」ということを

追い求めたのではありません。

そうではなく「苦しみの原因」を追い求められました。

そして「苦しみの原因は煩悩である」と突き止められたのです。

まず「私たちの人生は思い通りにはならない」ということを

明らかにされ、その原因を外に求めるのではなく、

自分の中の煩悩にある、気づかれました。

そしてその「煩悩を滅すれば、苦しみから逃れることができる

と説いてくださいました。

その煩悩を滅するためには正しい修行をする必要がある

ということを明確に説いていかれました。

5人の修行者たちにもそのように教えを説かれました。

この煩悩につきましてはまたいずれ改めて

詳しく申し上げたいと思っております。

こうしてお釈迦さま「」と、その説かれる教え「」、

そしてその教えを信じて修行する「」、

仏法僧」(ぶっぽうそう)ができあがりました。

三宝」ですね。

以後仏教徒は必ず仏法僧の三宝を敬う

ということからスタートすることになりました。

仏教教団に入ろうと思うならば、

その拠り所である釈尊「仏」に帰依するのは当然ですよね。

そして釈尊が説かれた「法」に帰依するのも当然でしょう。

そうであれば仏教教団「僧」に帰依するのも当然だといえましょう。

こうして仏教教団は2500年経った今も、

存続して苦しんでいる人々の支えとなっているのです。

『悪魔との対話』
中村元訳

2020年5月8日金曜日

お釈迦さまのご生涯⑧(涅槃・最終章)

お釈迦さまはガンジス川中流域の各地を旅から旅へ

一時も休まれることなく、伝道の旅を続けられました。

至る所でその人にふさわしい教えを説いていかれました。

いわゆる「対機説法」です。

その人その人の素質や能力に合わせて、教えを説かれました。

それはまるでお医者様が患者の病状に会わせて

薬を処方するようですので、応病与薬とも言われます。

会う相手ごとに教えを説かれましたので、

その数は膨大になりました。

それがお経です。

八万四千の法門と言われるほどに多くのお経、教えがあります。

伝道の旅を続けられたお釈迦様は八十歳の高齢を迎えられました。

「私の体は修繕に修繕を重ねた古車のように疲れ果てた」

とおっしゃり、お弟子の阿難さまに

「阿難よ、背中が痛む」と入滅が近いことを知らされたといいます。

お釈迦様は「阿難よ、私が入滅したら、

その後は自らを灯火とし、法を灯火として精進せよ」と告げられたといいます。

これが「自灯明法灯明」と呼ばれる教えです。

年老いて体調もお悪いお釈迦さまですが、まだ旅を続けられます。

パーヴァ村という村に行かれた時に

チュンダという鍛冶屋の息子がいまして、

お釈迦さまにきのこ料理を供養しました。

ところがそれを食べられたお釈迦さまは激しい腹痛に襲われ、

血がほとばしるほどでありました。

おそらく今の赤痢であろうと言われています。

チュンダは「大変なことをしてしまった」

と顔面蒼白になるのですが、お釈迦さまは彼を気遣い、

「仏に対する最初の供養と入滅前の最後の供養は最大の功徳があるのだよ」

とおっしゃったといいます。

少し病状が軽くなるとまだ旅に出られましたが、

クシナガラという街にさしかかったとき、

川の畔の沙羅双樹のところでもう一歩も歩くことができなくなりました。

阿難さまに命じて敷物を敷かせて、頭を北に、

右脇を地につけて静かに横になられました。

いわゆる頭北面西、北枕です。

その姿をみた阿難さまは悲しみのあまりに涙します。

その阿難さまに対してお釈迦さまは

「阿難よ、泣くではない。

すべて愛する者ともいつかは別れなくてはならない。

お前は長い間、私によく仕えてくれた。

この上は更に精進して覚りを目指せよ。

阿難よ、私の入滅の後、我が師はすでにいない、と思ってはならない。

私が説いた教え、法と生活規範の律を自らの師として、

照らし合わせながら修行せよ」

とおっしゃいました。

クシナガラにやってきた遊行僧のスバッタ

お釈迦さまに教えを請いたい、と言います。

お釈迦さまはスバッタの悩みを聞かれ、

質問にお答えになり疑いを解かれました。

そのスバッタがお釈迦さまの最後の弟子となります。

2月15日の満月の日、お釈迦様は入滅されました。

御年80歳でありました。

この2月15日をお釈迦様入滅涅槃の日、ということで

多くのお寺で「涅槃会」が営まれます。

『ブッダ最後の旅』
中村元訳

8月前半のことば 「亡き親の しきりに恋し 蝉の声」

 8月前半のことば 「亡き親の しきりに恋し 蝉の声」   若い頃、親の言葉を素直に聞けず、反発ばかりしていた日々はありませんでしたか。進路のことで衝突したり、ささいな注意に声を荒らげたり。  しかし自分が親となり、泣きやまぬ我が子を抱いて途方に暮れる時、かつて自分を包んでいた親...