2021年3月31日水曜日

一枚起請文⑨ 両手印(りょうしゅいん)

本文

「証のために両手印(りょうしゅいん)をもってす」

 

現代語訳

「証明のために両手の印を押します」

 

 

 

法然上人がご臨終間際に源智(げんち)上人に

 

授けられたと伝わる『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』は

 

大本山金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に

 

所蔵されています。

 

「証(しょう)のために

 

両手印(りょうしゅいん)を以てす」とありますように

 

内容に、偽りがない証明のために、

 

法然上人の両手形が、本文の上に押されており、

 

今もうっすらと見ることができます。

 

その手のひらの大きさから、

 

法然上人は現代人に比べて、

 

かなり小柄な方であったことがわかります。

 

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に所蔵されている

 

『一枚起請文(いちまいきしょうもん)』は、

 

毎年4月に勤める法然上人のお年忌法要である           

 

「御忌(ぎょき)法要」の際に、

 

披露されますので、是非一度お参りください。

2021年3月30日火曜日

一枚起請文⑩ 浄土宗の安心(あんじん)と起行(きぎょう)

原文

「浄土宗の安心(あんじん)・起行(きぎょう)

この一紙に至極せり」

 

現代語訳

「浄土宗の安心(あんじん)・起行(きぎょう)が

この一枚の紙に言い尽くされています」

 

「極楽浄土への往生を願う」心、

 

「南無阿弥陀仏と称えれば

 

必ず極楽へ往けると信じる」心と、

 

「南無阿弥陀仏と称える」行(ぎょう)は

 

両方必要です。

 

「心(しん)と行(ぎょう)」はセットなのです。

 

この「心(しん)と行(ぎょう)」が

 

極楽へ往生するための必要十分条件です。

 

浄土宗の「心の置き所」である「安心(あんじん)」と

 

「実践」である「起行(きぎょう)」が

 

このたった一枚の紙に書き尽くされています。

 

「究極はこれ」というのが「一枚起請文」なのです。

2021年3月29日月曜日

一枚起請文⑪ これ以外になし

原文

「源空(げんくう)が所存、この外に全く別義を存ぜず」

 

現代語訳

「〈私〉源空(げんくう)の考えは、これ以外に

全く特別なことはございません」

 

法然上人に

 

「津の戸三郎為守(つのとのさぶろうためもり)」さま

 

というお弟子がおられました。

(以下「津の戸三郎」と表記します)

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

鎌倉幕府の御家人、つまり武士です。

 

奈良の東大寺が、源平の争いの際に

 

平重衡(たいらのしげひら)公によって

 

焼き討ちされました。

 

その再建に法然上人のお念仏信仰の同志である

 

俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)上人が

 

勧進(かんじん)役としてご尽力なさいました。

 

勧進(かんじん)とは、寄付集め等の重要な役割です。

 

いよいよ東大寺が再建されて

 

大仏さまの開眼(かいげん)法要を

 

勤めることになり、鎌倉からも

 

多くの武士がやってきました。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまも

 

その中のお一人でした。

 

奈良までやってきたのだから、

 

名高い法然上人を訪ねようと思って

 

京都へ向かい、お念仏のみ教えと出会われます。

 

お伝記には「合戦の罪を懺悔(さんげ)して」

 

と記されています。

 

嫌でも戦をしなくてはならない武士の身です。

 

殺生をせざるを得ないのです。

 

それを「仕方がない」と開き直らないのが

 

ありがたいと思います。

 

「恐ろしいことをしている」という

 

自覚を持っておられたのです。

 

当時多くの武士達が

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまと同様、

 

自らの罪を恐れて

 

法然上人の元に集まってこられました。

 

当時の武士は江戸時代と違い、

 

一般には、必ずしも身分が高いと

 

認識されていなかったようです。

 

また、学問ができる武士というのはごく一部であり、

 

殆どの武士には教養がありませんでした。

 

そして武士自身がそのことを自覚し、

 

コンプレックスを持っていたようです。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

法然上人から、直接お念仏の尊いみ教えを聞き、

 

「この私が救われるのか!」と

 

喜んで関東へ帰られました。

 

関東で念仏を称えていますと、

 

よからぬ噂が聞こえてきました。

 

「津の戸三郎(つのとのさぶろう)は

 

無教養な人間だから、

 

法然上人も念仏を称えるだけで救われるという

 

簡単な教えを説かれたのだ。

 

教養がある人にはもっと深い教えを説かれるのだ」

 

というのです。

 

このように言われますと、

 

人によると腹を立てることもあるでしょう。

 

しかし津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは

 

真面目な方です。

 

心ない噂話をまっすぐに受け止め、


「もしかしたらそうかも知れない」と思われました。

 

悩んだ津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、


法然上人に

 

「こんなことを言われたのですが本当でしょうか?」

 

とお手紙をしたためて尋ねられました。

 

それに対して法然上人が

 

津の戸の三郎(つのとのさぶろう)さまへ

 

送られたご返事も今に伝えられています。

 

法然上人は

 

「そのような不信の者の言うことに惑わされず、

 

しっかりと信心を持ちなさいよ」と励まされました。

 

津の戸三郎(つのとのさぶろう)さまは、

 

法然上人の励ましによって、

 

今まで以上にお念仏に励まれるようになりました。

 

お念仏は阿弥陀さまが選ばれた行です。

 

「称えれば極楽へ迎え取る」と

 

阿弥陀さまご自身が誓われているのです。

 

簡単な行でありながら、

 

凡夫(ぼんぶ)を救う、最も勝れた行だといえます。

 

簡単であるが故に、ついつい深読みして、

 

「もっと難しいことをやらないといけないのでは?」

 

と思ってしまいがちです。

 

そうではなく、「ただ願って称えるだけ」で

 

極楽浄土に往けます。

 

他に何も難しいことは隠されていないのです。 

2021年3月28日日曜日

一枚起請文⑫ 滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)

本文

「滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)を

ふせがんがために所存を記し畢(おわん)ぬ」

 

現代語訳

「私亡き後の誤った理解を防ぐために、

思うところを記し終わりました」

 

 

 

この文が記される「一枚起請文」は、

 

法然上人の臨終間際に、

 

源智(げんち)上人に授けられた

 

ご遺訓(ゆいくん)です。

 

法然上人という柱を失うお弟子達は、

 

「これから自分勝手な教えを吹聴する者が

 

出てきた時に、正すことができるだろうか」と

 

不安だったことでしょう。

 

事実法然上人ご存命の間にも、

 

「たった一度だけ念仏を称えさえすればよい」とか、

 

「念仏は多ければ多いほどよい」、

 

あるいは「どんな悪人でも救われるのなら、

 

どんどん悪いことをしてやろう」などという

 

勝手な教えを広める者が後を絶ちませんでした。

 

彼らの言動も法然上人が晩年、讃岐に流された大きな理由の一つです。

 

法然上人は、「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」と

 

善導大師の教えをきっちりと受け取って、

 

確信を持って浄土宗を開かれました。

 

自分に都合よく適当な解釈を採用するのは、

 

仏教の教えから離れてしまいます。

 

阿弥陀さまの本願を根拠に、

 

「南無阿弥陀仏と称えれば必ず極楽浄土へ往生できる」

 

と信じ、ただひたすら「南無阿弥陀仏」と称える。

 

浄土宗の教えは、このようなシンプルかつ

 

仏の御心に適う教えだということを、

 

法然上人は最期にお弟子達に確認されたのでした。

 

末代の弟子である私たちも、

 

この法然上人の教えをしっかと受け取り、

 

ただ一向に念仏していきたいものです。

 

(一枚起請文の項終わる)

11月後半のことば

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