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2020年10月24日土曜日

四誓偈(しせいげ)①

「浄土宗のおつとめ」について、ご紹介いたしました。

そこで、「誦経(じゅきょう)」という項目があり、


『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』を読むこと、


と申し上げました。


https://hourinji.blogspot.com/2020/09/blog-post_23.html


ここでは『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』の中で

 

最もよく読まれる「四誓偈(しせいげ)」について

 

お伝えします。

 

先に「写経のススメ②」として

 

この「四誓偈(しせいげ)」を上げました。

 

https://hourinji.blogspot.com/2020/07/blog-post_26.html

 


『浄土三部経』は具体的には

 

『無量寿経(むりょうじゅきょう)』

 

『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』

 

『阿弥陀経(あみだきょう)』の三つを指します。

 

この三つを『浄土三部経』と名付けたのは、

 

他ならぬ法然上人です。

 

その内、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』の前半には

 

「阿弥陀仏の本願」について説かれています。

 

阿弥陀仏がまだ仏になられる前、

 

「法蔵菩薩(ぼうぞうぼさつ)」と言われてた時に、

 

「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」という

 

仏さまの前で

 

「もし私が仏になったならば、このようにしたい。

 

もしそれが叶わなかったら、私は仏にならない!」

 

と四十八項目にわたる誓いを建てられました。

 

その中身は

 

①どんな仏になるのか

 

②どんな浄土をつくるのか

 

③人々をどのように導くのか

 

という三項目に集約されます。

 

その③「人々をどのように導くのか」というテーマで

 

最も大切なのは

 

「煩悩に苛まれた人々をどうやって救うか」

 

という大問題です。

 

法蔵菩薩は

 

「すべての人々を救うためには、

 

どんな者でもできることを条件にしなくてはいけない」

 

というお慈悲の御心で

 

「私の名前を呼ぶだけなら、どんな者でもできるであろう」

 

と思い至りました。

 

その上で「もし私が仏になったならば、

 

我が名を呼ぶ者をすべて、これから作る私の浄土に

 

迎え取ろう。

 

それができないならば、決して仏にはなるまい!」

 

と誓われたのです。

 

これは四十八の願の内の、第十八願。

 

「念仏往生の願」と呼ばれるものです。

 

この願にしたがって、私たちが阿弥陀仏の名を呼ぶことに

 

よって「極楽浄土へ往く」ための道筋が整ったのです。

 

「なむあみだぶつ」の「お念仏」です。

2020年10月23日金曜日

四誓偈(しせいげ)②

四十八願(しじゅうはちがん)の直後に


この「四誓偈(しせいげ)」は登場します。

 

(本文)

 

我建超世願(がごんちょうせがん)

 

必至無上道(ひっしむじょうどう)

 

斯願不満足(しがんふまんぞく)

 

誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)

 

 

 

 

 

(書き下し)

 

我れ超世の願を建つ 必ず無上道に至らん 

 

この願満足せずんば 誓って正覚を成ぜじ

 

 

 

 

 

(現代語訳)

 

私はこの世の常識を超えた願(四十八願)を建てました。

 

必ず覚って仏になります!

 

ただしこの四十八願のどれか一つでも

 

成就できなければ、決して仏にはなりません。

 

 

 

このように「四十八願の総まとめ」として、

 

改めて「世自在王仏(せじざいおうぶつ)」の

 

御前で「決意を表明」されるのです。

 

 

2020年10月21日水曜日

四誓偈(しせいげ)④

(本文)

 

我至成仏道(がしじょうぶつどう)

 

名声超十方(みょうしょうちょうじっぽう)

 

究竟靡不聞(くきょうみしょうもん)

 

誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)

 

 

 

 

 

(書き下し)

 

我れ仏道を成ずるに至らば 名声十方に超えん

 

究竟して聞ゆる所なくんば 誓って正覚を成ぜじ

 

 

 

 

 

(現代語訳)

 

私が仏道を完遂して仏になったならば、

 

私の名声があらゆる世界に聞こえて、

 

それが隅々まで行き渡りますように。

 

もしそれができなければ、誓って仏にはなりません。

 

 

 

「名声が世界中に行き渡りますように!」と言うと、

 

「名誉欲があるの?!」と思われるかもしれません。

 

でもそんなはずはないですよね。

 

せっかく「仏になってすべての人々を救いたい」と

 

思っても、誰もその仏の存在を知らなければ、

 

救われようがありません。

 

「名声が世界中に行き渡る」ということは

 

「救いが行き渡る」ことと同義です。

2020年10月20日火曜日

四誓偈(しせいげ)⑤

(本文)

 

離欲深正念(りよくじんしょうねん)

 

浄慧修梵行(じょうえしゅぼんぎょう)

 

志求無上道(しぐむじょうどう)

 

為諸天人師(いしょてんにんし)

 

 

 

 

 

(書き下し)

 

離欲と深正念と 浄慧との修梵行をもって 

 

無上道を志求して 諸々の天人師とならん

 

 

 

 

 

(現代語訳)

 

六波羅蜜の行をして、「覚りの道」を求めて

 

多くの人々のために、仏となりたいと願います。

 

 

 

「仏になるための修行をする者」を

 

「菩薩(ぼさつ)」といいます。

 

その「菩薩(ぼさつ)」がする修行は

 

「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」「忍辱(にんにく)」

 

「精進(しょうじん)」「禅定(ぜんじょう)」

 

「智慧(ちえ)」の六つあります。

 

これを「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といいます。

 

「布施(ふせ)」は自らの欲望を断つために

 

自分の物を他者に施します。

 

この「布施(ふせ)」に「財施(ざいせ)」と

 

「法施(ほうせ)」の二種あることは先に書きました。

 

https://hourinji.blogspot.com/2020/10/blog-post_16.html

 

「持戒(じかい)」は仏教徒としての「良き習慣」である

 

「戒(かい)」に従って生活することです。

 

「忍辱(にんにく)」は、

 

「あらゆる苦しみを耐え忍ぶこと」です。

 

「精進(しょうじん)」は「仏道修行に邁進すること」です。

 

「禅定(ぜんじょう)」は「

 

智慧を得るために精神を集中させること」です。

 

「智慧(ちえ)」は「仏となる覚りの智慧を得ること」です。

 

この内の「布施(ふせ)」「持戒(じかい)」

 

「忍辱(にんにく)」の三つが

 

「四誓偈(しせいげ)」本文の「離欲(りよく)」です。

 

「禅定(ぜんじょう)」が

 

本文の「深正念(じんしょうねん)」に相当します。

 

そして「智慧(ちえ)」が本文の

 

「浄慧(じょうえ)」に当たります。

 

これらを「精進(しょうじん)」して

 

修行することを「修梵行(しゅぼんぎょう)」といいます。

 

さて、仏さまには十の敬称があり、

 

それを「十号(じゅうごう)」といいます。

 

その内の九番目が「天人師(てんにんし)」で、

 

「天の神々と人々の師たる存在」という意味です。

 

ここまでが、「法蔵菩薩の誓い」です。

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