四つ目は「わが身悪し」です。
「私は煩悩(ぼんのう)だらけです。
だからダメでしょ?!」
と疑う必要はありません。
「心清らかな人がお念仏するなら
それは往生できるだろうけれど、
私のような煩悩(ぼんのう)に悩まされる者は、
念仏を称えても往生できないのでは?
と疑ってお念仏を止めてしまったり、
あるいは無理して称えていてもいつも疑って、
一生信じることができない」
という人のためにこの疑問を
わざわざ挙げてくださっているのです。
「煩悩(ぼんのう)だらけの凡夫が往生できない」
というのは仏教の世界では常識です。
しかし「往生するのに煩悩の有無は関係ない!
ただ助け給えと思って南無阿弥陀佛と称えこそすれば、
往生間違いなし!」
と思って日々念佛を続けていくべきなのです。
「煩悩(ぼんのう)だらけの凡夫が往生できる」
というのは仏教の教え広しといえども、
浄土の法に限りますし、
善導大師(ぜんどうだいし)や、
法然上人の教えを聞いていない者にとれば、
信じがたいことでしょう。
でも間違いないのです。
善導大師(ぜんどうだいし)も
「罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)」と
自らのことをおっしゃているのですから、
私たちが煩悩(ぼんのう)まみれでも仕方ありません。
その凡夫(ぼんぶ)を救うためにこそ
阿弥陀さまは本願を建ててくださったのです。