2020年11月20日金曜日

一紙小消息(いっしこしょうそく)⑥(往生極楽の機 その四)

四つ目は「わが身悪し」です。

 

「私は煩悩(ぼんのう)だらけです。

 

だからダメでしょ?!」

 

と疑う必要はありません。

 

「心清らかな人がお念仏するなら

 

それは往生できるだろうけれど、

 

私のような煩悩(ぼんのう)に悩まされる者は、

 

念仏を称えても往生できないのでは?

 

と疑ってお念仏を止めてしまったり、

 

あるいは無理して称えていてもいつも疑って、

 

一生信じることができない」

 

という人のためにこの疑問を

 

わざわざ挙げてくださっているのです。

 

「煩悩(ぼんのう)だらけの凡夫が往生できない」

 

というのは仏教の世界では常識です。

 

しかし「往生するのに煩悩の有無は関係ない!

 

ただ助け給えと思って南無阿弥陀佛と称えこそすれば、

 

往生間違いなし!」

 

と思って日々念佛を続けていくべきなのです。

 

「煩悩(ぼんのう)だらけの凡夫が往生できる」

 

というのは仏教の教え広しといえども、

 

浄土の法に限りますし、

 

善導大師(ぜんどうだいし)や、

 

法然上人の教えを聞いていない者にとれば、

 

信じがたいことでしょう。

 

でも間違いないのです。

 

善導大師(ぜんどうだいし)も

 

「罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)」と

 

自らのことをおっしゃているのですから、

 

私たちが煩悩(ぼんのう)まみれでも仕方ありません。

 

その凡夫(ぼんぶ)を救うためにこそ

 

阿弥陀さまは本願を建ててくださったのです。

4月前半のことば

 4月前半のことば 「受け難き人身を受けて」   この言葉は、浄土宗の開祖・法然上人の御法語「一紙小消息」の一節です。私たちがこうして人間として生を受けていることの尊さを改めて感じさせられます。  人として生まれることは、決して当たり前のことではありません。生物学的に見ても、1億...