「口称正行(くしょうしょうぎょう)は唯一、
「これをするだけで極楽浄土へ往ける行(ぎょう)」です。
南無阿弥陀仏と称えれば必ず極楽へ往けます。
だからこれだけをしていればいいのです。
極楽へ往きたいと思って、
南無阿弥陀仏と称えていればいいのですから、
「お仏壇、仏像、お位牌を祀ること」は、
極楽往きの絶対条件ではありません。
ところが、お仏壇がなければ、
とてもお念仏が称えにくいことでしょう。
お仏壇の前でこそお経を称えますし、
お仏壇を拝んで極楽を想像します。
阿弥陀さまのお像があり、その元でご修行される、
先に往生された方々を表すお位牌があります。
仏像やお位牌を拝んで、
極楽や阿弥陀さまに心を向けるのです。
阿弥陀仏像に礼拝し、讃歎(さんだん)し、
お供えをするのです。
この読誦(どくじゅ)や観察(かんざつ)、
礼拝(らいはい)、讃歎供養(さんだんくよう)を
することによって、
お念仏がとても称えやすくなります。
そのようにお念仏を称える者を補助することを
「助業(じょごう)」といいます。
法然上人は、まずはこの五つを
「正行(しょうぎょう)」とし、
それ以外を「雑行(ぞうぎょう)」
と分類されます。
ただし、念仏の信心が育ってきたら、
「お念仏を称えるのに役立つこと」を
「助業(じょごう)」として
再び拾い上げます。
例えば、歩くことは極楽とも阿弥陀さまとも
関係ありません。
しかし、私は「南無阿弥陀仏」と
小さな声で称えながら歩きます。
そうすると歩くことがお念仏の助業になります。