法然上人は
「平生の念仏の、死ぬれば臨終の念仏となり、
臨終の念仏の、のぶれば平生の念仏となるなり。」
とおっしゃっています。
「平生の念仏」とは普段の念仏ですから、
「三種行儀(さんしゅぎょうぎ)」でいうところの
「尋常行儀(じんじょうぎょうぎ)」に当たります。
尋常(じんじょう)の念仏を続けていると、
いつかは命が尽きる時がやってきます。
そこで命が尽きたらそれが臨終の念仏になるのです。
また、いつ死を迎えるのかは
誰にもわからないのですから、
「今が臨終」と心得て念仏を称え、
その臨終念仏が続いていけば、
それがすなわち尋常(じんじょう)の念仏となるのです。