(本文)
かくのごとき愚人(ぐにん)、
悪業(あくごう)をもっての故に、
まさに悪道に堕(だ)して、
多劫(たこう)を経歴(きょうりゃく)して、
苦を受くること窮(きわ)まりなかるべし。
(現代語訳)
このような愚かな人は悪業(あくごう)を
犯したがために、必ずや地獄・餓鬼・畜生の
三つの悪しき境涯に堕ちるであろう。
そこでとてつもなく長い時間を過ごして、
しかも果てしなく苦しみ続けるのである。
仏教では因果の道理を説きます。
善業(よい行い)には未来に楽果(楽という結果)が、
悪業(悪い行い)には苦果(苦しみという結果)が
もたらされます。
その結果は来世に持ち越されることもあります。
もちろん他人の境遇を見て、
「きっとあの人は前世に悪いことをしたに違いない」
などという判断はできません。
また因果の道理を差別に使うのはもってのほかです。
そもそも今人間として生まれてきている時点で、
前世には人間に生まれるだけの
善業を積んできたといえるのです。
そうやってせっかく人の身を受けたのに、
今この世で十悪・五逆の悪業をなした者は、
地獄・餓鬼・畜生に生まれるのだ、
と説かれているのです。
どれだけ知識や学問があろうとも、
因果の道理を知らずに悪業を積んでいると、
そのような結果が未来にもたらされてしまいます。
気をつけなくてはなりません。
「業(ごう」につきまして、以下に参考文献を
挙げておきます。
参考文献
○〈業〉とは何か 平岡聡著 筑摩選書
○業・宿業の思想 櫻部建講述 平楽寺書店
○業を見すえて 浄土宗 浄土宗出版