「そうか、自分で自分を苦しめているのか。
では見方を変えよう」「ものごとを正面から見すえるのだ」
と考え方を改善すればもうすべて解決できたか?
というと、とてもそんなことは言えません。
本当に煩悩を滅し尽くすことができれば、
あらゆる悩みも苦しみからも解放されるのでしょう。
でもそこには到底たどり着けない自分がいます。
もし不治の病にかかる、パワハラやいじめ、
愛する人を亡くすなどの強烈な出来事が我が身に降りかかったら、
「そのままを正面からみる」とは
言っていられないであろう自分がいます。
私は今まで僧侶として、辛い経験をされた方と多く出会いました。
「愛する人を亡くす」という身を切り裂かれるような、
誰もしたくない経験をされる方がたくさんおられます。
その方々は5年、10年、20年と長きにわたって苦しまれます。
私が若い頃は「もう立ち直ってもよさそうなのに」
などと無責任に考えたこともありました。
しかし、何人もの方が同じように長い時間苦しまれる姿を見て、
「愛する人を亡くしたら、みんなこんなに苦しむのだ」
ということに遅ればせながら気づきました。
自分はその体験がないけれど、
同じことが我が身に降りかかった時には
自分もきっと同じように苦しむことでしょう。
体験していない者が安易に「こうすれば?」「こう考えたらどう?」
「早く忘れようよ」などということが
どれだけその人を傷つけることでしょう。
そうは言うものの、目の前に苦しむ人がいると
ついつい安易なアドバイスをしてしまう自分がいます。
これも何度も失敗し、今現在も愚かしく
その繰り返しをしています。
今までお伝えしてきた仏教の根本的な教えは非常に有益です。
それを冷静に受け止めることができる人は受け止め、
是非実践していってください。
しかしその実践も覚束ない、実践しようとしても
目の前の苦しみに苛まれてしまうことが私たちにはあります。
そんな私たちのためにお釈迦さまは
多くの教えを説いてくださっています。
日本の宗派には三論・法相・華厳・律・成実・倶舎の南都六宗、
天台宗、真言宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗、
浄土宗、浄土真宗、時宗、黄檗宗等々たくさんあります。
同じ仏教でありながら、行う修行方法は全く異なります。
曹洞宗は「ひたすら座る」といいますし、
浄土宗は「ただ念仏を称える」と説きます。
することが全く違うのにどちらも仏教です。
瞑想等の修行で煩悩を滅することができる人ばかりならいいけれど、
そうはいきません。
そのような
「自分で自分の苦しみに気づき、その原因である煩悩を断てばよい」
と知ってもそれができない者のために
お釈迦さまは念仏の教えを説かれました。
「信じて称える」という全く別の角度からのアプローチです。
自分の無力さを自覚して、「救ってくれる仏がいる」と知り、
「ただ念仏を称えれば救われる」という教えです。
自分で煩悩を断つことができなくても、
「信じて称える」ことならできる、という人は大勢います。
逆に「信じることができない」という人も大勢おられるでしょう。
その多様な人々のためにお釈迦さまは多くの教えを説かれたのです。
『反応しない練習』
草薙龍瞬