「人に合わせて」
「お経」を説かれました。
これを「対機説法(たいきせっぽう)」といいます。
この「対機説法(たいきせっぽう)」の
「機」が「私の正体」です。
たとえば、Aさんという人に対して、
お釈迦さまがAさんの素質や能力、性格を見て
「あなたはこういう修行をしなさい」と示され、
その教えを素直に信じ修行すれば、
覚ることができることでしょう。
しかし、
「お釈迦様がそうおっしゃるけれど、
信じられないからしない」
という人はダメです。
「お釈迦様を信じて実行する人」
が導かれてゆくのです。
同じようにBさんにはBさんに合う教え、
CさんにはCさんに合う教えが説かれます。
しかし、Aさんが覚るのをみて、
TさんがAさんと同じ修行をしても
必ずしも覚ることはできないかもしれません。
素質や能力、人柄つまり「機」が異なるからです。