2020年11月11日水曜日

一紙小消息(いっしこしょうそく)⑮勧門(かんもん)と誡門(かいもん) その三

人殺しが良いはずはありませんが、

 

人間関係がこじれたら

 

わたしたちは何をしでかすか分かりません。

 

「あんな奴いなかったいいのに!」

 

「あと十年我慢したらあの人もこの世にいないだろう」

 

などと口には出さないけれども

 

「人の死」すら願ってしまうことが

 

あるかも知れません。

 

実は、きっかけ次第でどんな罪も

 

犯しかねないのが、この私たちです。

 

新聞やワイドショーに出てくる犯人を

 

「とんでもない奴やなあ」

 

と断罪するのは簡単です。

 

でも同じような生まれ、育ちであったらどうでしょうか。

 

私たちが殺人もしないで済んでいるのは

 

周りの環境がいいからなんじゃないでしょうか。

 

私たち自身が良いのではなくて、

 

縁が良いから悪いことをせずに

 

済んでいるだけではないのでしょうか。

 

殺人をしなくて済んでいる環境に感謝すべきであって、

 

自分が良いのではないのです。

 

私たち一人一人は殺人犯と何ら変わらぬ

 

煩悩を持ち合わせています。

 

それが発芽しないように注意しなくてはなりません。

 

「少しの罪も犯すまい」と思いつつ、

 

「こんな恐ろしい煩悩を持ち合わせている

 

私をも阿弥陀さまは見捨てない」

 

と信を強くすることが大切です。

12月後半のことば 自分の罪に気づいたら…

 12月後半のことば 「雪のうちに 仏の御名を称うれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる」     法然上人                    しんしんと降る雪は、一粒はか弱くても、積もれば景色を一変させ、道さえ塞いでしまいます。私たちの心に積もる「罪」も、これに似ています。  ...