2021年3月9日火曜日

下品下生(げほんげしょう) ② 観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)

『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』は、


釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)というところで、


側近のお弟子である阿難(あなん)さまに説法する、


という形で話が進められます。


「霊鷲山(りょうじゅせん)」は別に


「耆闍崛山(ぎしゃくっせん)とも申します。


本文中には「耆闍崛山(ぎしゃくっせん)」と


出てまいります。


釈尊ご在世の当時、強国であった


マガダ国の王舎城(おうしゃじょう)で、


王族の間で起こった悲劇がベースになっています。


大まかなストーリーについてはこちらをご覧ください。



https://hourinji.blogspot.com/2020/07/blog-post_12.html

https://hourinji.blogspot.com/2020/07/blog-post_13.html

https://hourinji.blogspot.com/2020/07/blog-post_14.html




『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』には、


極楽浄土や阿弥陀仏を目の当たりに観るための


瞑想方法が順に説かれています。


そしてそのような難しい瞑想ができない者のための


修行方法が説かれます。


難しい修行ができない者の中にも、


様々な人がいます。


それを「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」から


「下品下生(げほんげしょう)」まで九つに


分けて説かれています。


この節のテーマである


「下品下生(げほんげしょう)」につきましては、


先回「十悪(じゅうあく)五逆(ごぎゃく)の


罪人が救われる」ことが説かれていると申しました。


これは『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に


登場する重要人物、阿闍世(あじゃせ)王子の


救済を念頭において説かれていると考えられます。


阿闍世(あじゃせ)王子は、


父親である頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を殺め、


更に母である韋提希夫人(いだいけぶにん)をも


殺害しようとしました。


そのような者すら救われるからこそ、


私たちも救われることになるのです。


次回から本文を読み進めてまいります。


12月後半のことば 自分の罪に気づいたら…

 12月後半のことば 「雪のうちに 仏の御名を称うれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる」     法然上人                    しんしんと降る雪は、一粒はか弱くても、積もれば景色を一変させ、道さえ塞いでしまいます。私たちの心に積もる「罪」も、これに似ています。  ...