『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』は、
釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)というところで、
側近のお弟子である阿難(あなん)さまに説法する、
という形で話が進められます。
「霊鷲山(りょうじゅせん)」は別に
「耆闍崛山(ぎしゃくっせん)とも申します。
本文中には「耆闍崛山(ぎしゃくっせん)」と
出てまいります。
釈尊ご在世の当時、強国であった
マガダ国の王舎城(おうしゃじょう)で、
王族の間で起こった悲劇がベースになっています。
大まかなストーリーについてはこちらをご覧ください。
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『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』には、
極楽浄土や阿弥陀仏を目の当たりに観るための
瞑想方法が順に説かれています。
そしてそのような難しい瞑想ができない者のための
修行方法が説かれます。
難しい修行ができない者の中にも、
様々な人がいます。
それを「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」から
「下品下生(げほんげしょう)」まで九つに
分けて説かれています。
この節のテーマである
「下品下生(げほんげしょう)」につきましては、
先回「十悪(じゅうあく)五逆(ごぎゃく)の
罪人が救われる」ことが説かれていると申しました。
これは『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に
登場する重要人物、阿闍世(あじゃせ)王子の
救済を念頭において説かれていると考えられます。
阿闍世(あじゃせ)王子は、
父親である頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)を殺め、
更に母である韋提希夫人(いだいけぶにん)をも
殺害しようとしました。
そのような者すら救われるからこそ、
私たちも救われることになるのです。
次回から本文を読み進めてまいります。