本文
「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、
疑いなく往生するぞと思い取りて申す外(ほか)には
別の仔細(しさい)候わず。」
現代語訳
「ただ、極楽へ往生するためには、南無阿弥陀仏と
称えるのです。
間違いなく往生するのだ、と思い定めて
お念仏を称える以外には何も細かなことはありません。」
極楽浄土は、「極楽浄土へ往きたい」と願う人が
往く所です。
往きたくない人を阿弥陀さまが
無理矢理連れて行くのではありません。
「極楽浄土へ往きたい」と願う、
誰もができるのがお念仏です。
往きたくない人にとれば、
これほど簡単なお念仏でも、「面倒くさい」と
思うことでしょう。
「極楽なんて往かなくてもいい。
私には地獄でじゅうぶんです」
などと、うそぶく人もいるかもしれません。
私たちは過去世の苦労を忘れてしまうので、
同じ過ちを繰り返してしまいます。
かつてあれほど地獄で苦しんだのに、
そんなことは一切記憶に残っていないので、
極楽浄土を求める心が起きにくいのです。
しかし、このわずか数十年の人生を生き抜くだけでも
これほど苦労が多いのです。
地獄の苦しみは、その比ではありません。
決して地獄行きを望むようなことがあってはならないのです。
「極楽浄土に往きたい」と願い、お念仏を称えるならば、
100%極楽往生は叶うのです。