3歳で良忠上人は出雲の鰐淵寺に入られます。
今の小学6年生か中学1年生の頃からお寺で
過ごされたということになります。
やはり相当優秀であったようです。
14歳になられたお正月のことです。
建暦二年の元日。
建暦二年ってみなさん聞き覚えありませんか?
そうです。
「建暦二年正月二十三日大師在御判」とありますように
『一枚起請文』が記された年であり、
その二日後に法然上人が往生された年でもあります。
奇しくもその同じ正月に良忠上人はこんな歌を詠まれたといいます。
「五濁(ごじょく)の憂き世に生まれしは
恨みかたがた多けれど
念仏往生と聞くときは
かえりて嬉しくなりにけり」
「五濁」と申しますのは
①劫濁②見濁③煩悩濁④衆生濁⑤命濁 の五つです。
『浄土宗大辞典』によりますと
①劫濁(こうじょく)とは「時代のみだれで、
戦乱・飢饉・疫病などが多くなること」です。
②見濁(けんじょく)は
「思想のみだれで、邪悪な思想がはびこること」
③煩悩濁(ぼんのうじょく)は
「 貪・瞋・痴の三毒煩悩などが盛んになること」
④衆生濁(しゅじょうじょく)は
「人びとの資質が低下して教えの理解力が劣化すること」
⑤命濁は
「人びとの寿命が短くなること」です。
現代のことを指しているように感じませんか?
仏教の時代感覚は800年前も現代も同じ括りなのです。
良忠上人のお歌は
「五濁の世に生まれてきたことは辛いことだけれど、
念仏を称えていたら必ず往生できることを知ると、
この世に生を受けたことがかえって嬉しくなるものである」
というものでした。
それを聞いた先輩が
「正月早々縁起でもない!」
と良忠上人を叱ったといいます。
かの一休禅師も正月早々にドクロを持って
「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
とふれて歩いたといいます。
良忠上人は先輩に言われたことであるから
反論はしなかったけれども、心の中で
「人の命は時を選ばない。そう考えると正月も盆もない。
今日もしあなたの命が終わるとしたらどうするのか!?」
と思われたといいます。
『良忠上人御法語』
大本山光明寺