ここに登場する旅人は現在の私自身であると申しました。
二河白道(にがびゃくどう)は
「私が死んでから細い道を歩む」
のではありません。
念仏を称えて生きていこうと
信仰を決めた私ですが、それですっかり心が安定して、
一生涯ずっと揺らぎ無く信仰していく、
というわけには、なかなかいきません。
私たちには煩悩があります。
念仏を称えていたら、煩悩がなくなるのではありません。
称えていても煩悩はあります。
頻繁に欲張りの心、腹立ちの心、
高慢な心、疑いの心を起こす私たちです。
それらの心が過ぎれば、念仏信仰を失いかねない
頼りない私たちです。
そんな私自身を表すのが旅人の姿なのです。