2021年2月7日日曜日

二河白道(にがびゃくどう) ⑪ 白道を歩む私 その三

ここに登場する旅人は現在の私自身であると申しました。


二河白道(にがびゃくどう)は


「私が死んでから細い道を歩む」


のではありません。


念仏を称えて生きていこうと


信仰を決めた私ですが、それですっかり心が安定して、


一生涯ずっと揺らぎ無く信仰していく、


というわけには、なかなかいきません。


私たちには煩悩があります。


念仏を称えていたら、煩悩がなくなるのではありません。


称えていても煩悩はあります。


頻繁に欲張りの心、腹立ちの心、


高慢な心、疑いの心を起こす私たちです。


それらの心が過ぎれば、念仏信仰を失いかねない


頼りない私たちです。


そんな私自身を表すのが旅人の姿なのです。


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